カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

失くした世界には

異世界モノがなぜ安定した人気を得られるのか?それは読者が感情移入しやすいから、という定説が理にかなっている。

 

本を一度開けば、そこは異世界だ。現実的な物理法則に則した世界観でも、そこは読者にとって未知のコミュニティであり、全てにおいて無知なのである。

 

多くの人間にとって、物語の世界に入り込むということは、その世界のルールに適合しないといけないことと同義たりえる。

 

ただし、基本的に読者はゲストであり、そのルールを知らないのは読者だけなのである。

 

だからこそ、新しい環境に飛び込む不安、そのギャップと戦いきれないと、その物語に入り込むことができない。

 

昔、どこかの偉い人が、「最初の1ページをすらっと読めなかったらその本は向いていない」と言っていたのを思い出す。

 

まさにそうで、入口から難解であればあるほど、基本的に読解は困難なのである。

 

だからこそ、異世界モノは、何も異世界について知らない「共感者」が主人公で登場するからこそ、世界に入り込みやすいのであろう。

 

主人公がその世界にとって無知であれば、異世界先に水先案内人が確実に存在している。主人公と共に、世界を知り、真理を知り、それと対峙する覚悟ができるのである。

 

ファイナルファンタジーシリーズが長らく続くようになったが、初めて、シリーズでボイスが導入されたのは、ナンバリングでいえばⅩになってからだ。

 

自分の動かすキャラに声がつく、名前が呼ばれるとワクワクするなかで、

 

その物語の主人公は、なんと、名前をセレクトできるのである。

 

デフォルト名、「ティーダ」のままにしても、物語中で、他キャラクターから名前で呼ばれることはない。

キミ、お前、あんたなど、基本的には二人称が少し距離がある。

 

それは、その物語の重要な側面も一因としてあるのだが(ネタバレになるけど)、もう一つの一因としてあるのは、

異世界転生モノとして、主人公とプレーヤーをリンクして欲しい」

という製作者の意図もあったと言う。

 

その通り、流れに沿って感情移入してみれば、すっと話に入り込めるし、

彼と共に怒り、笑い、泣き、喜ぶことができるのである。

2000年代初頭に発売され、現代のかく言う「異世界転生モノ」の黎明期にある名作の一部として、絶対に欠かせない名作だと思う。

 

さて、なぜこんな話をしたかと言えば、それは環境変化とヒトの在り方について考えることから起因される。

 

環境変化をするうえで、欠かせないのは環境に適応する能力だ。

それがあれば苦労しないし、いつまでも浮いている感じがするよりは、馴染んだほうがずっと良い。

 

自分は、成長には環境変化は欠かせないものだと信じて疑わない。

別に今の環境に不満がある訳じゃない。それでも、何かを変えないと、自分自身かわりたくても変われないのではなかろうか。

 

自分の大したことなさに絶望するのは個人の勝手だけど、だからと言って何もしないのは意味が分からない。

 

環境を変えて、適応しようとする気概が大切なのである。

 

異世界に転生したとして、それを受け入れられないのであれば、駆逐されて死を遂げるだけなのだから。

 

自分の弱い所には負けたくねえなあ。