市場価値という概念が好きだ
色んな人と話をして、自分の今後について考える時、
「市場価値」とか「素養」とか、そういった観点で話をするのが好きで、きっとそれに向かってキャリアデザインをするのが最重要課題なのだと痛感する。
例えば、年収1,000万円が目標の鈴木くんという高校生がいたとする。
当時彼は、「年収1,000万円を得られるということは、それだけ払う価値がある人間になる」という解釈のもとそこに宣言したという。
世の中で年収1,000万を得ている人間は上位10%もいないだろうが、そうした彼らは原則、やはりその対価を払うだけの「市場価値」があるからそうなっているのである。
なぜならば、同じ能率、同じ成果ならば、安く雇える方が魅力的な人材だし、人間性がしっかりしている方が扱いやすいからだ。
さて、わたしは、あなたは、その程度の価値がある人間なのだろうか?
もしそうでない場合、足りないものは何か?
逆に、今ある魅力を伸ばすことで、今500万円分の価値しかないものを倍以上に伸ばすことはできないか?
こういったエトセトラに通ずるものが「素養」なのだと解釈している。
素養は広い方がいいに決まっているが、それを「知識」に留めることそれ自体は意味を為さないのだ。
それを、使用し、市場に投入して収益を得られてこそ、市場価値が生まれるのである。
これから、AIが支配する世界において、こういった「知識」とか「データベース」とか「タダの根性」は価値を失うだろう。
なぜならば、AIのほうが「安価で」「文句も言わず」「24時間365日休憩不要」で働くスーパー人材だからだ。
だから、とどのつまり言いたいことは2つ。
口だけの人間はこの観点においては意味がない。行動そしてその結果がすべてだ。机上の空論でマウントを取り合うようなド卑猥な真似は辞めたい。
努力はすればいいってものじゃない。正しいベクトルで適切な量と質のもと努力すれば結果論でそれは成功している。
わかっていないといけない2点だし、わかっていても人間は性悪だから日々胸に刻んで生きていこう。