カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

人気になっちゃいかんのか?

人気になること、それは違った側面で不人気になることで、

多くの人に好きになってもらうことって、多くの人に嫌われることだと思う。

 

よく言うよね

「好きの反対は嫌いじゃない、無関心だ」

その通り。

 

他人というのは、相手に向けるベクトルがゼロの人。ベクトルが正になれば好きだし、負になれば嫌い。ベクトルの大きさが大きくなれば大きくなるほど、その思いは強くなる。だから嫌いって感情は、×(-1)すれば大好きになっちゃう。そんくらい捻くれた感情だし、逆に大好きっていうのも、×(-1)すれば大嫌いになる。ベクトルの大きさが大きければ大きいほど、掛け算したあとの増減は大きいわけで、そこに愛だったり絆だったり感じるのが人間だ。無関心、0はいくらなにをどう掛けても0なの。

 

中学の頃通った塾の先生が「0の威力」って言葉が今でもすごく耳に残ってて、残念なことにそれを数学力に生かせなかったけど、それで哲学的思考を生かせてもらってるんだ今も。

 

例えばの話。

「俺、アイツのこと本当に気に食わない。大っ嫌いだ」

そう陰口を垂らす輩がいたとしよう。

それって、ある意味大胆な愛の告白だよねって言いたい。

まあ、相手に真っ向から嫌いだよって言われて、あぁ、そうですか。と何もダメージを受けずにむしろ嬉しがる人なんていないわけ。みんなそれはもう面白くない。

でもさ、相手のこと嫌いになっちゃうほど、相手の脳内に「自分という存在」を留めさせることができたら、それはある意味での勝ちだよね。その人の多かれ少なかれ脳内のストレージに、自分という存在がいて容量を食う。嫌いっていうマイナスな思考は思考してしまっている時点でそれは思考で、考えないようにすることは考えることと一緒で、相手の私生活に侵食する。

 

結局人の「構って欲しい」とか「自己顕示欲」とかいうのは、自分以外の相手の私生活の一部に自分を嫌でも埋め込ませることだから、嫌われるという概念はある意味での勝ちに値する一手だと思うよね。

 

逆にいうと、コイツ気に食わないなって思ってる人間を嫌いと思って無駄なエネルギーを作るよりは、もはや関わらない他人と変わらないレベルの人間にして、「無関心」の0にしてしまったほうがいい。

 

お互いに嫌い合ってたとして、もし片方が急に大人になって無関心を決め込んだ時、一気にこちら側が優勢になる。俺は、まあ嫌いって言えば嫌いだけど、どうでもよくね?それよりシャーペンの替え芯の中の炭素原子数数えね?って言って全然相手に対して気持ちを込めないのに対して、相手の一方的な片思い。側から見たらそう滑稽なこと。

 

これが、本来の意味での「片思い」だと、本当に可哀想だよね。無下に扱えないからこそ、大変なんだと思う。もし、ここまできて、スイーツ系、糖質系の人間がいたとしたら言いたいのは、片思いする側が切なくて辛いとかよく巷では言うらしいけど、される側の気持ちって、考えてみたことはある?別に煽っても怒ってもないけど、もしも、もしも仮に仮定法の世界で、自分の片思いが相手にバレてるとしたら……。

を考えてみてほしい。相手の一挙手一投足をちょっと落ち着いて見てほしい。良いものか悪いものか、何か分かって欲しいこと。あるんだけど。

 

だからね、本来の「人気者になりたい」って色々解釈できると思ってる。最初に言ったけど、万人に好かれる人間なんていなくて、好いてくれる人がいるってことは、嫌ってくる人もいるってこと。

 

人気になりたいけど、誰からも嫌われたくないなんて、甘っちょろいこと言ってんじゃねえよ。

それが、今も自分の一部を構成する八方美人という考え方。心の中ではちゃんと分別ついたんだけど、やはり身体に染み付いたものはなかなか離れない。

 

解決方法は2つだけある。

1つは「相手に自分は好かれる可能性があると等しく嫌われる可能性がある」

を認識すること。人に嫌われるのを否としないこと。

もう一つは「好きでも嫌いでもないが、無関心でもないポイントに持っていくこと」

言葉にするとテクニックが必要な感じがするけど、案外そうでもない。好きとか嫌いとか面倒になったら、無関心に近いが相手の脳から離れない、そんな窓の水滴みたいな存在になっていこう。

 

誰からも愛されないなんて辛い?本当にそうか?本当にそうなら、自分という名前の他人は、自分のこと愛してあげればいいじゃん。自分のことを大して理解してくれない相手に愛されることほど、神妙で違和感で収まりの悪いことなんてないよ。