カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

続何処へ向かうのか

一つ前の記事。からの続きです。是非そちらから読んでみてください。

 

自分で言うのもなんだけど、結構面白い経歴を経て、今の自分がいることは確かだ。

自己紹介に飽きがこない。

 

生後間もなく気管支喘息になって入院した。

幼稚園時代は社会不適合児だったので、不登校ならぬ不登園だった。といってもある程度は通っていたが。

小学校ではソフトボールをやるくらいで、まあ特に目立ったことはしていない普通の少年Aだった。

中学に入ると何かが一転した。

特設も含めて、部活に4つ入ることになる。陸上部では短距離リレーの選手になり、駅伝部では長距離で1区とアンカーを走るんだから驚きだ。そのうえ2年間生徒会をして、最終的には生徒会長になった。この頃からサブカルに出会い、今のインドア生活が板に着く前身となった。

人生2度目の入院は中2だった。老人がかかる腸閉塞を疾患。はやくも死に直面した。

色々乱れた中学。

 

高校では部活の数は絞られるものの、文化祭限定のラジオを企画することになる。

最終的には陸上部で個人で東北大会まで進めるほどの力を持った。

学業のほうは、明らかに自由奔放で

理系を選択したのに、生物化学選択、社会は日本史と、本当に理系なの?大学受験舐めてんの?といった常識から外れた文理選択。選んだ理由は「物理よりも生物のほうが興味あるし、地理よりも日本史のほうが好きだから」

 

奇しくも、最終的に大学入試終了後、進路先の関係で文転する。その大学でのセンター利用入試、使用した3科目は、英語、「生物本編、日本史B」だった。

 

国立二次試験終了後に文転するというダイナミックな進路選択をした後、上京。

 

理系単科大学の中にぽつんとある文系学部に入学。なんやかんや中の上くらいの成績を

 

陸上部と写真部の兼部。気づけば部長と副部長の二刀流。日本でどこ探しても、大学で体育系と文化系の兼部をした上で部長と副部長を二刀流する人間はいないだろう。

運転免許が取れない。技術的な限界。

 

普通でない人生であることは間違いない。奇をてらうことを良しとしたいわけではないが、すべて「自分がやりたいこと」の欲望を掻き回した跡が、経歴という道になっている。周りからは常軌を逸していると言われても仕方はないが、これが自分が生きたいと思った人生なのである。

そして、これからもこうやって経歴に良かれ悪かれ泥を固めていく。

 

敷かれたレールの上を進むのは自分好みではない。

簡単に自分の人生を要約した時、唯一無二で居られるのだろうか?

そういったことを夢想する。

 

それで、向かいたい最終的なものゴール

それは、死だ。人は死ぬ。死ぬから、生きる。

 

最終的には、これはよく言ってることだけど、

東京のある街はずれに小さな10席ちょっとの喫茶店を経営して、そこのマスターになる。好きな本を置いて、好きな音楽をかけて、そこだけ時間が止まったかのような、暗くて、コーヒーの匂いがして、眠ってしまいそうな世界観。そこで自分の時間を過ごしたり、いろんな人と他愛のない話をして、旧友とあーだこーだ話をして、近くに下宿する真面目で人懐っこい学生のアルバイトを2〜3人雇って、費用対効果の高いラクな仕事をさせる。夜は暇ならバーにしても良い。そこで気がすむまで年金を無駄にして、もう良いかなって思ったらパッと早く死ぬんだ。みんなより早く。

 

死ぬのは正直あんまり怖くない。もう死と向き合ってしまったから。死なずに生きたいと願って痛みや苦しみと戦うよりかは、一瞬の激痛と共にさっと死んでしまったほうがすっきりする。不謹慎だが、70手前くらいで事故死するのが理想だ。

好きな人の死を看取るのは辛いから、絶対に先に死んでやるんだ。みんなはよぼよぼになっても俺の葬式には来ること。なぜなら俺は先に死ぬから。

 

すると、ここまで話すと20〜60までがどうしても空白に感じてしまう。が、正直この年代にあんまり拘りがないのだ。否、こだわりがないと言うよりは、そうなるようになろう、と思っているくらいの感覚。

 

そこの年代での、唯一の目標としては、

「年収1000万」これだけ。シンプル。

年収1000万をもらうということは、それだけの人間として、いや、ビジネスマンとしての価値があるということに値する。その名誉もそうだけど、俺はどうもやりたいことを優先しすぎるばかりに浪費を重ねた。だからこそ、大切な人たちにそのせめてお金、自分の成長をもって恩返しくらいはしたいし、しなきゃいけない。

 

 

 

今まで話してきたこれが、自分のアイデンティティたるもの。これからどうなるかわからない。わからないけど、もう、人生のガイドラインは引いたつもり。間に何が起こるかは分からないけど。

 

今までの自分が、俺だし、これからの自分も、俺だし、今の自分も、俺なんだ。

 

自分という核、芯が固まっているからこそ、それに基づいて行動していく。それは今までの経歴だったり、価値観だったり、倫理観だったり、今後の目標だったりで構成された。それを揺るがずに生きていきたい。向かいたい方向を決める選択肢はすべて、思うがままに選びたい。

様々な要因や障害で選択できないことは避けて。

 

さて、今までの話で致命的な欠陥が含まれていることはご存知だろうか?

 

そこには他人への関わりとか、家庭への関わりという概念があんまりにもたまにしか登場しないこと。

それが実に自分らしいと皮肉めく。

普通なら何歳で結婚して〜とか言いそうだなって思う。

まあ、いいんじゃないの、それでも。