カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

有能無能問題

なんでこの人は当たり前のことができないんだろう。

あの人に対してそう思っている僕も、あの人からこう思われてる。

なんでこの人は当たり前のことができないんだろう。

 

なんにもおかしいことじゃない。ただ、当たり前であることは、人それぞれ定義が違うっていうこと。別に誰が決めたわけじゃない。何が悪いわけじゃない。ただ、与えられるフィールドによって、人は有能にも無能にも成り得る。そう思ってる。

実際自分もできないことだらけだ。それをただ、できることしか周りにない環境を選んでいるから、できないことが隠れているだけ。そういうことよくあるんじゃないかなぁ。

 

当たり前のことを当たり前にできることがどれだけ素晴らしいことか。

それを当たり前だと思うのか

素晴らしいことだと称賛しほめたたえるのか。

 

でも、これだけは言えるのは、前も言ったことなんだけど、当たり前のレベルは、高いほうがいい、その高低はあくまで主観的評価に基づくものではあるが。

 

店員に横柄な態度をとるよりは、ありがとう、ごちそうさまが言える人の方がいいに決まってるし、

道で立ち止まっている人がいたら、邪魔だと怒るよりも、道に迷ってるのかなと心配する心を持った方がいい。

人様の家に上がり込むときは、あまりにもフラットにリラックスして過ごすよりも、相手の私生活に気を遣いながら上がった方がいい。

授業はうるさく雑談しているよりは、静かに邪魔にならないようにスマホでゲームしていた方がいい。

 

よくよく考えたり、ちょっと該当の相手の気持ちに立てばわかるような当たり前は、正直言ってできて当然。くらいの立場でいたい。

 

でも、生まれてきた環境、境遇、育ち方、価値観によってそれは変容するのは確かだし、それがそうでなくて違っても、受け入れられる器の大きさはそれはそれで大切な要素であるのは、間違いないのだ。

自分がすべてできてて完璧なんて傲慢なことは言えない。ただ、そういったことは当たり前アタリマエってへらへら言えるくらいの人間でいるべきだし、そう在りたいっていつも思ってる。

 

ただ、知識とか、技術とか、才能とか、能力とか、そういったどうしようもないことってまたフィールドが違いませんか。ってのが今回主張したいお話。

 

自分は自分のことを有能だとは思っていない。むしろ自分の能力のなさ、魅力のなさ、無力さに絶望するときの方が比較的多い。

というのも、これは絶対的評価。

 

相対的評価というのは、文字通り何かと比べた時の評価ってことなんだけど、誰かと比べて自分は有能、無能というフィールドの話をしたいわけじゃない。

自分がここまでの水準として該当の能力を満たしたい。そう思ってるけど、実際はそんな力持ってない。

具体例を出せと言えばいくらでもある。

自分は文章を書いたり、何か考え事をするのは結構好きだが、これを100%伝えられる語彙力や表現力、人を惹きつけるような魅力がない。自分が叫びたいことをありのまま表せないことにもどかしさを感じる。

自分は表向きに広く聴衆向けをする話し方ができても、それを直接的な人気であったり、注意を向かせることには特化していない。

自分は突飛なアイディアセンス、デザインセンスが無いから、既存のあるなにかをアレンジすることしかできない。0からモノを作れず、1を最効率運用することが限界だ。

 

まだまだ自分のスペックに満足しきれていないし、足りないものばっかりだし、むしろ自分が欲しいものとか、得たいものとか、そういったものが、自分の無能さが故に手に入れること、思い通りにいかないと、ほんとうに悔しい。

ヒトにはそれぞれ向き不向きがあるのはそれは確か。だからこそ、

 

「お前はいいよな~なんでもできて。俺なんてできること何もないよ」

 

そんな無責任なこと、言わないでほしい。

自分の能力は、確かに相対評価されがちだけど、いつまでも絶対的評価であるべきだ。相対評価せねばならない、と言われたら自分と自分を相対評価してくれ。

 

そんなこと言うのは、自分にはどうしようもない能力が何かあったとして、それを持っている人が近くにいた時、悔しいからだ。

悔しいとさ、人間そう強くはないし、

「あいつは才能があるんだ。俺は才能がないから。」

そう考えてあきらめちゃうんだ。諦めるのが実際一番悔しい。

負けを認めるのが一番悔しい。だから、自分の理想と常に戦いつづけたいんだ。

 

少なくとも、この分野は自分は負けてない、ってポイントが1つでも欲しくて、それでマウントとって徹底抗戦したいんだわな。

 

そんなこと言いたくなったのも、ここ最近いろんなことがあるから。

 

自分の力がもっとあれば、こうならずに済んだのかなとか考える悔しさとか。

自分が得たい力の供給先が絶たれてしまうやるせなさとか。

自分が一番欲しいなって思う能力を簡単に手にしちゃうような人が近くにいた時のつらさとか。

 

好きな言葉があって

 

「期待っていう言葉は、どうしようもない絶望から生まれる言葉なんだ。自分に自信のあるやつは、自分に絶望のしていないやつは、期待なんて言葉は使っちゃいけない。」

 

国語はきっと難しい。