カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

勉強だと思わないこと

基本的に学生の最終的な壁となるものは、試験であり、入試であり、テストになると思うんだ。

 

人に課せられるテストなんてやる気にはならない。

そんな事考えるかどうかは、当人の勝手であるとして、自分が高校3年の受験期、それも12月頃に確固たるものだなと確信した理念があって、それは

「勉強を勉強だと思わないこと」だと感じる。

課せられてるという意識があるからやる気がなくなるんだろうなあ。

いやあ、仕方のないこと。高校大学はともかく、義務教育の過程では、学ぶことが強制とされている。

だからこそ、好きなこと好きなように学んでいいよなんて言われても、そんなのすぐには分からない。まず、学ぶことが楽しいこと、という等式を結ぶのにも一苦労だろう。それでいて、突然

「さあ、キミのやりたいことは何だい?可能性は無限大だよ」

なんて言ってくるんだ。寝言は寝て言え。

でも、実際、学ぶことは案外楽しいものなんだ。

自分の知らない知識が新たに構築されていくのも、自分の知識が断片的であったものたちが繋がりをもって因果を説明して納得する瞬間も、単純な覚え方に法則性を見出して一生忘れない知識になることも、身につけたものが、実生活のひょんなところから飛び出してきて、より効率的に人生を生きていくことも、成功とも言えないような成功体験があって楽しいからまた学んでいくんだわ。ゲームに近い楽しさがある。脳が疲れることは面白い。そう言ったことを知ることができたのが、前述したとおり、悲しいことに高3なのだ。

 

それでも、昨今はいろんな誘惑があり、選択肢があり、だから迷ってしまう。だから、結果的に勉強をしない選択肢を選んでも、結局は勉強好き?嫌い?って聞かれたら、好きって答えるべきなんだと思う。

 

学ぶ時も、人に何かを教える時も、ここ近年ずっとテーマにしてることがあって

 

「堅い内容を如何に面白くするのか、逆に、柔らかい内容を如何にバカ真面目に考えるのか」

 

ってこと。

 

例えば、クソつまんねえ昨今の情勢とかも、実際の人間関係みたいに例えてみれば面白く感じるし、頭が痛くなるような統計手法を用いた計算も、単純なケースに置き換えて考えて、ストーリーを作って計算を展開する。ただの単語暗記も声に出してリズミカルに歌えば自然とテンション上がる。

逆に、面白いネタがあったら、

「なんでこれは面白いのか。人気を博するものなのか?」をより一般化して考える。テキストマイニングを用いればいいのかもしれないし、話し方のタイミングで学術的根拠があるのかもしれない。などなど。側から見ればそのバカ真面目なのが滑稽なのかもしれないけど。でも、世の中にある当たり前のことをなんで?って考えて、一旦哲学とかそういったレベルまで掘り下げて馬鹿みたいに真面目に考えると、非常に面白いんだよ。

 

それを勉強だと思わない。正直勉強なんて「毎日の生活のしょうもないと言われて仕方のないネタ探し」でしかない。

 

でも、それで飯食っていけるなら、幸せなんだろうね。自分の無いものが欲しいっていう単純な欲求が起因となって、根底にあるからこそ、勉強ってものがあるんだ。いや、そうじゃないと、今まで勉強してきたのが本当に無駄になっちゃうからか、そう思ってた方が幸せに生きることできないかな?提案。