カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

ひとつの道具ですべてに通ずる力を得ること

大事だと思っています。

 

せっかく自分が使えるようになったツールで、汎用性を広げられないのはとっても残念なこと。

 

これの最大の要因って、

「一つの事柄に対する動機が、一つしかないって決めつけてしまうこと」

にあると思う。

 

例えば我々は

「大学の単位を取るため」だけに、わざわざExcelを学ばなければいけないのか?

きっと答えはノーで、

「じゃあ、これでもっと自分の人生効率化できないかな?」

って考えるのが普通なのかなって思う。

 

人生、何かを成し遂げるには時間が短すぎるわけで、

 

一つ学んだら、それで2つまたはそれ以上の生産物を出さなければならないし、そのほうがずっと楽しくラクして生きられる。

 

Excelを講義で習って、

「こんな教科書のシーン再現を自分のPCでやって喜んで、単位が取れるだけの浅い人間でいいのか?」

という疑問から、実務で活かすためのインターンを始めたかと思えば、

Excelはなんと進捗管理シートなんかにも使えて、むしろデータプラットフォームを構築するのに非常にナイスガイなもので、

なんなら、ネット上で共有、URLリンクを含めたフレキシブルな対応ならGoogleスプレッドの方が有益なことを知った。

 

すると、自分のデータ構築をすべてそこに一元化、体系化した。

 

何をするにも便利だし、自分のなすことやることがうまく可視化できて、見落としが少なくなるから非常に人生が効率的になった。

 

ある作業をするのに、2時間かかっていたものが1時間で済むようになった。

その余剰した時間で、こうして思ったことを書けたり、もっと別の素養を深めることができる。

 

もしかしたら、自分が「仕事をしている」と思っていることは、できる人間からしてみれば「それ無駄な作業だから」って思われていて、もっと効率化できて、データを可視化できて、意思決定がスムーズに進むのかもしれない。

 

これが、教育格差だとか、オツムの出来の差だとかで明らかに時間という有限な資源に差が出てしまうことは、非常に勿体ないことだと感じた。

 

まあ、そんな自分も完璧に効率的な生き方が出来ているとは思っていなくって、もしかしたらもっと便利な生き方があるのかもしれない。それを模索する意思活動こそ、今ある程度まとまった「無駄にできる時間」がある大学での嗜み、ということで片付けようかと思う。

 

そう考えると、自分が身を置く環境って本当に大事で、自分が今まで歩んできた道が少しでも間違っていたら、今の自分の知識体系は崩れていたのかと思うと、ぞっとする。

 

よく、「何を勉強すればいいかわからない」「勉強のしかたがわからない」なんて悩みが中高生であるけど、

 

やっぱり、何かしら与えられたタスクをこなすうえで、「体系化された自分の何か」が確立されないうちに、いろんなことに手を出すのは危険なのかもしれないな、と思う。

 

その反面、そういったことって誰か先生みたいな人が教えてくれるわけでもない。社会の現状を鑑みて、自分が遠回しに教わった道具に工夫を凝らして、自分がやりやすいものを作っていかないといけない。その難しさと、その楽しさと。

 

こういったことを楽しいと思ったり、無理なく頑張れる自分は、本当に誇らしいし、これからも全力で自分の時間を効率化、合理化して生きて、沢山稼いでさっさと人生をリタイアし隠居しようとひたすら願うばかり。

 

早く休むには、誰よりも速く休憩場に到着することが必要、チェックポイントを踏み続けることが重要。

 

だから、何か良いものを見つけたら、すぐに見て盗むということを大切にしたいものだな。