カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

自分は何がしたいのか、何処へ向かっているのか

昨日の話になるけど、飲み会で白ワインを挟んだ日の夜は、記憶はあるし、吐くこともなく気持ちよく、薄気味悪いくらいニコニコして酔って寝ることが統計から明らかになった。今後飲み会で白ワインを頼む時はポイントになってくる。

 

さて、自分という人間をデザインする。要はキャリアデザインについての話をしたい。

 

尊敬人間の1人である林修氏が言ってた、印象的な言葉の中に、現代文の話で

 

「世の中にはたくさんの書物が溢れて溢れてる。そのなかで、一般庶民の書いてることはてんでダメで、おかしくて、自分の感性が最強だと思ってるから、自分の言っていることが本当だと思うから、自分で書き物を書いて作家になる、これが、なぜ書くのか?の理由だと思う。」

 

自分が自分で在らしめる理由。

 

まあまずSNSやって、自分専用のページをウェブ上に載せて全世界に発信している時点で、まあその人間は自分のことが大好きで、自分に自信が一定以上ある。自分が一番だと思っている。それは定かだ。自覚があろうとなかろうと、それだけは、揺るがない事実。だから自分語りなんてして当然だし、自分が愛おしくてたまらない、他人に評価されたいような投稿をするのもごく自然な発想だ。

 

そこからくる、「愛される自分作り」というものはたしかに存在していて、一番一般的に噛み砕けば「モテ術」とかが代表的だと思う。

 

人間が他者から評価を得ることについて、2つのタイプしかないと思っている。

 

1つは、他者が良いなと思うタイプに自分の人格を持っていき、評価を得ること。

 

もう1つは、自分が良いなと信じて疑わない感性をそのまま、他者のスイートスポットにはめ込み評価を得ること。

 

自分は後者の在り方を日々探索している。これがシンプルに自分がどうしたいのか?を表現した答えだと思っている。

 

ブランディングの話を少しする。

「自分はこう在りたい!」という定義、自分の中で譲りたくないものは、ブランド・アイデンティティといって

「あの人はこういう人だよね」っていう認識、他者から見た評価を、ブランド・イメージって言うんだけど、

 

自分自身と言うブランドがあって、それをブランディングしていく最大のブランドマネジャーは自分な訳でして、まあ、自分自身のブランドイメージは、悪いよりは良いほうが好ましいわけで、認知が無いよりはあった方がいい。そのくらいのニュアンスの価値観は誰しもが持っているのは前提で話す。

 

キャリアデザインのうえで絶対に必要になっていく作業は「自分を自分でブランディングすること」に他ならなくて、無意識のうちに全員がブランドマネジャーとして個々に活動している。

 

そこで、ブランドイメージを良好に持っていき、保つという作業のうえで、一つの葛藤のようなものを提示する。

 

今ある自分のブランドアイデンティティとブランドイメージの中に差異がある。相手にこう思って欲しい!と思ってはいるが、中々シンプルに伝わらない。相手のブランドイメージをより良い質の高いものにする過程で、自分のブランドアイデンティティを分かりやすいように、大衆受けするようなものに変えるのか。それとも、自分のブランドアイデンティティを維持し、相手への見せ方や技術を変えることで、相手から新しい価値の発見を見出すのか。

 

自分の中で、ブランドアイデンティティが定まっていないならこの話は別だが、俺自身は、心の中でアイデンティティたる、揺るがしたく無いものっていうのはある程度出来上がっていて、それがあるからこそ、何かモノやヒトに媚びたり、執着して自分のアイデンティティを揺るがしたく無い。という気持ちがある。

アイデンティティの詳細についてはある程度この書き物を読んでくれていたり、オンラインでもオフラインでも自分のことをある程度注意深く見てくれている人ならわかっている(それを正しくわかってくれているなら、嬉しいし、そうで無いなら、自分のブランディングのプロモーション不足だけなんだけど。)と思う。

それだから、自分がいつも最優先事項だし、人のせいで自分を揺るがしたく無い。

これはあくまで精神的な部分であって、だからと言って、約束をすっぽかしたり、ドタキャンしたり、マナーを守らなかったり、そういった反社会的な行動をしたいわけじゃない。最低限の礼儀は守りたいし、良いなと思った人間には誠意を持って接していきたいって本当に思ってる。

時には、そういった素敵な人から、自分の考えを改めさせてくれることだって勿論ある。今までの凝り固まっていた価値観を、少しだがほぐして、その人から新しい価値観を粘土でくっつけるみたいに埋め込む。そうしてまた新しいアイデンティティが定まっていく。

 

この一連の流れがキャリアデザインであると自分は解釈している。自分がこう見て欲しいっていう感情と、相手が実際に見ている認識はズレがあるのは確かで、この人について3行で紹介して下さい!ってスレがあれば、大体多くの人が一致するような人間を目指してる。

 

そういう意味でのソーシャルネットワーキング

 

でも、やっぱり自分の中ではまだまだ技量不足だ。

 

自分のことを話すと、じゃあどう思われたいのか?

本当に好きになってくれた人には、それぞれの感情を持って欲しいし、ここでいっちゃうとそれこそそれにバイアスがかかって自分が歪んでいってしまうから言わない。

じゃあ正直無関心な人に、どういった感じで評価されたいのか?

これは簡単で、

「なんかよくわからんが面白い多重人格」

これ。

俺が無関心な人間には、正直あんまり関わって欲しくないし、あんまりこっちに近寄ってほいほいされても困る。それでいてちょっと嫌だなって思う部分があるとシャットアウトしちゃうし。

それなら、謎な、ミステリアスというと表現がおかしいけど、あんまりよくわかんねえやって思われるくらいがちょうど良い。

 

変な人。変だから脳裏から離れないけど、他人との会話の話題にするわけでもないし、別に直接どうこう言おうとも褒めようとも陰口言おうとも思うような気力も湧かない、けど、なんとなく記憶に残ってしまう愉快な人間。

それがベスト。相手が一方的に意識を向けてるなら、俺的にも愉快だし。

 

じゃあ、何処へ向かっているのか?意外と話が伸びましたので、記事を二本立てにします。