カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

転売という行為は悪なのか真剣に考えたい

転売は悪。これは自明ではあるが。

 

モノに付加価値をつけるのが資本主義社会の在り方で、

例えばチケットの場合。完全抽選のチケットを当てることはそれは難しいわけで、それに当たった人間が、自分の「運」を付加価値として、高値でチケットを転売する。

 

例えばプロ選手のサインについて、プロ選手に会いに行って、サインを頼み、貰うという「行動力」を付加価値として、サインを高値で転売する。

 

こういう思考回路で見れば、不思議と自分の中では転売ってそれ程悪くないことじゃない?という感覚になる。

 

だが、勿論転売は悪だと思うし、昨今の報道もそうだしアーティストの考えもそうだけど、それに関しては全面的に同意する。まあ多少気になる点はあるけれどもそれには目を瞑る。

 

世の中には付加価値をつけてモノを流通させているから、人はロイヤリティを得て、そこから法人税を差っ引いて報酬を得ている。

 

それに国の機関の関与度が著しく下がったのが最早メルカリで代名詞となるフリマのこと。

 

たしかに、人間社会の最初のやりとりは全て物々交換から始まった。その片方のブツに、お金が加わった。

 

お金が実際すべての邪魔をしているのは確かなんだが、転売という行為自体そのものに何か違和感を感じてならない。

 

転売が悪だとそう言うのなら、なぜ、転売屋はまだ居るのか?それは買う人間がいるからだ。買う人間が、転売は悪だと世間で言われているにもかかわらず、買うからだ。ではなぜ買うのか?それは、ただ、その該当のチケットなりサインに、それだけの金銭的対価を支払ってまでも欲しいという気持ちがあるからだ。もし、転売されても売れないなら売れない。売れなければ、転売屋も少しずつレートを下げていく。そして、一定額に落ち着いた時に買えば、実はその値段は原価。そんな世界が理想上では行われる。

 

転売は悪なんてよく言ったもので、普段からモノに付加価値をつけて売ることを生業にしている会社はごまんとある。

 

ただそれを、「アーティストの気持ち」とか、「選手の気持ち」が入ると途端に、なぜかメディアも突然報道しだすし、転売屋、いや、レートを上げている人物もレートのインフレーションを起こすし、何故か、悪いと思いながら買う人間がいる。

 

日本の倫理観、報道観が顕著に現れた複雑な事象が絡み合う問題。これをそのままにしてしまうのも結局としては人間の弱さ。

 

経済理論的に言えば、転売は決して悪でない。と経済学者は述べるだろう。理論上は、決して間違ってはいないからだ。

もし、それが間違っているのなら、チケットやサインの価格が安すぎるか、流通チャネルに致命的な欠陥があるか、アーティストの言う、ハコが狭いか、ロイヤリティが不当に跳ね上がってるのにもかかわらず買う人間がいるからだ。

 

ひとえに転売屋が悪いと悪いと、そう言っているのならそれは間違いだ。資本主義社会は、利益の追求が根本原理だ。これが違法であるにしてもないにしても、いや、もし違法ならなぜ取り締まりがここまで甘い?

 

全体的なシステムとか、倫理観とか、そう言ったものの致命的なズレを、たった1人を悪者にして問題を問題として片付けるのはいささかどうなのか?と思う。

じゃあどんな案があるのか?それは自分にもわからないけど、でも、頭ごなしに感情論で「ダメなものはダメだから」って耳の先まで真っ赤にされて怒られても、心に来ない。

 

ダメなことを、あくまで論理的に。

それで、ダメなことなら、それがそもそも起こらないような社会のシステム作りをしなきゃ。

最近はもっぱら批評とか自分語りしかしない世の中だから、考えなきゃな、と感じざるを得ないな