カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

尊敬する人の話。

あんまり、近くにいる人は尊敬できない。一義的に尊敬できたり、無理だなって思うことはできても、自分自身が多重人格気味なところがあるから、こういう面は良い、ただこういう面はダメだよなって一人の人間でも割り切って考えがちだから、尊敬するにも尊敬しきれないし、嫌うにも嫌いきれない。

 

神を崇拝するのは、神が触れられないようなレベルにいるからで、自分の中で妄想を広げてより崇高な像を描くからであって、そこに尊敬の念を得るのではないか、と。だからこそ、尊敬する人はあんまり距離を近づけすぎない方がいいし、逆に尊敬されるような人には距離を詰めすぎないほうがいいのではないか?と思う時がある。

 

そんななかで、自分が尊敬できる人ってのはまあ数少ないんだけど、数少ないなかでの共通点をいくつか見つけたから言葉を残しておこうと思った。

 

尊敬っていうのは、辞書的な意味ではあれこれそういった意味なんだろうけど、自分の中では「こう在りたいという自分像」が尊敬の対象なんだと思う。なりたい、じゃなくて、ありたい。それを断ったうえで。

 

まず、仕事のオンオフがしっかり出来ている人。仕事へのプロ意識。自分の価値観を貫いて、お金を貰って仕事をしているという自覚の元に、どういう風に自分はいるべきなのか?を明確に持っている人間。それでいて、仕事だけに囚われていないで、趣味とかプライベートな部分ではふわっと軽い要素を持っていて、それが癒しというか美しというか。

 

次に、自分自身との対話が出来ている人。自分はどう生きるべきか?とか、これからどう行動するべきなのか?を真剣に自らの頭で考えて、他人に流されたりすることなく、自信を持って一歩を歩んでいる。多分だけど、きっと各々の中にほんとうに大きな目標とか目的があって、それに向かってどう進めばいいのか?とか、何が今自分に足りてなくて何をすればいいのか?がわかる。自己分析に長けた人。

 

そして、当たり前のレベルが高い人。常に相手の気持ちをミリ単位で考えたうえで、適切な行動であったり、礼儀であったり、時には冗談であったりを柔軟に捻り出せる人。世渡りが上手いのに、八方美人で多勢に染まってしまわない自分の色を持っている人。

 

最後に、他人の当たり前を尊重できる人。一見今生きてる当たり前の生活を、実はめっちゃ凄いことで幸せなことなんじゃないか?って折に触れて自覚して、感謝できたり、逆に思い通りに行かなくても、他人の否とせずに大きな懐で対応できる人。

 

口には出さないけど、そんな背中を見せてくれる人が大好きだし、そうありたいなと、日々感じてるんだよ。