カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

2018年に何を残せるだろうか

今年も終わりを迎える。

2000年代のうちのたったの一年。平成最後のたったの1年。人は何もかもに節目を欲しがる。変化を欲して生きている。本当は何も変わって欲しくなくて、何かいざ変わったものが出たら、違和感と嫌悪感を顔に出すのに。

時間という概念を生み出したのも人間。所詮人に作り出されて遊ばれた概念だったとしても、それを幸せに思えたならそれで幸せ。

 

そんな気持ちの悪いこと言っても仕方がないので、総括をします。

 

この書き物もだいたい初めて1年少しは経ちます。人生統計的に秋から冬にかけて病みがちな自分ですが、昔はTwitterであったり、メモ帳であったり、思っていること。特に、思っていて口にしたいのに出来ないことってものを大切にしたくて、書き物をしていました。自分の脳をそのまま開いて、果たして自分はありのまま生きているのか?思ったことを思った時に思ったように言えているのか?

そういった問いに、常にノーを言わなくてはいけないこの現代社会、否、自分の八方美人からくる性格。

 

なぜ、人は思っていることがそのまま表現できないのか?

それは、物理的に不可能であることもある。単純に、この何かを言語化して叫ぶ力を持ち合わせていないのだ。語彙力の無さ、表現力の無さをまじまじと晒されているよう。

それも然り。ただ、なんで、他人のせいで自分は自分の思うように生きることができないのか?常に疑問を持っている。ここ5年くらいは。

いつからだったか、自分の一挙手一投足が、誰かに見られて、評価されて、アイツってこんな奴なんだよって断定される。それに不信感しか感じないこと。

どうも、人は自分がこう思ってほしいという欲望を叶えることは難しいとなるように出来ているらしくって、だからそこに思い悩み生きる人もいるんだろうし、それが承認欲求だとか、自意識だとか、メンタルヘルスだとか、いろんな形になって世の中に顕在している。

 

それが悪いことだとは言いたくはない。でも、悪い意味で他人様に振り回される人生をそれをよしとして良いのだろうか?それがずっと考えていること。それをどうしても叫びたい形にしたくて、言葉を残し続けた。

 

もう消えてしまったTwitterアカウント数個(と言っても高校時代が多くて最早相当今よりももっと青くて若いものなんだけど)も含めて、自分は何かを残して行けたんだろうか?何か成長できたんだろうか?まだ出来ないにしても、後で過去を振り返ったとき、この思索が確かに有意義なもので、現在も自分のアイデンティティに生きていると思えるだろうか?解らない。解らないから、楽しい。そんな思考のアルゴリズム

 

正直良い文章書けてる自信なんてなくて、構成なんてコンマ1ミリも考えずにとりあえず頭に浮かんだことを書き連ねている。本当に赴くままに、筆の進むまま。でも、それもいいっしょ。自分が自分のことを肯定できなきゃ。

 

前置きは長くなって1000字を超えてしまったのでそろそろ総括をします。

2018年はどんな年でしたか?って言ったら、自己表現の年でした。っていう気がする。

今年は授業の関係上、非常にプレゼンやグループ演習が多かった。俺が苦手なグループ演習。正直今も人の足並みに合わせて歩くというのは非常に難しいと思うけど、それでも、自分のグループでも、そうでなくても、あぁ、こいつは本当にすごいんだなって、ある意味での良い部分とか、感じて、自分の良いところでサポートしようとか感じることもあった。

でも、やっぱりなんて言ってもプレゼンはしんどい。準備もそう。スプリクトの調整とかも。

嫌いなアニメーションも取り入れまくった。

プレゼンの講義で、レビューである人から「スライドづくりから、ほんとに細かいところまでの配慮だったり、気遣いが行き届いてるのが本当に印象的だった」

って言葉が今も衝撃的に心に残ってて。

自分がやりたい研究分野の話でもあるんだけど、さっきの話とも繋がる。

「表現」が多くの人に伝わる。それが大切。

どんなに凄いアイディアを持ってる人でも、それが伝えられない。

一度見れば本当に面白いのに、売れない芸人。

使ってみれば効果を確かに実感するのに、魅力的に見えず手を伸ばされることのない商品。

そういったモノ、ヒトたちの力になりたい。そう考えて生きて仕事にしたいとまで考えてしまってるおめでたい奴だから、本当に嬉しかった。

でも、プレゼンとかに限らなくて、普段の生活の話し方とか、それこそ文章での表現とか、色んなところに難しさがある。

正直、自分はこんなんだけどそこまで目立ちたくはない。参謀役でいたいの。

他者排斥主義なくせ、自分が消費者心理というものを操って、人の心を完全に掌握してより良いものを気づかせてあげたい。裏を返せば然程な商品でも少ない効用で大きいハッピーを与えたい。そういった考えを持つのは大きな矛盾だ。

 

でも、そういったことが、少しでも表現してできた気がする。相変わらず凝り固まった所はそのまんまだけど、それでもいい、むしろ個性と思って生きる。

 

あとは、素敵な音楽に沢山であった。今年はiTunesにいくらお金を落としたか解らない。タワレコに何度赴いたかわからない。

 

芸術は爆発。音楽はノスタルジックな気分にも浸れて最高。

 

あとは、忘れてたけど20歳になった。酒あれほど飲まないといってた癖に、なんやかんやまあまあ飲んでる。ビールとかウイスキーとかハイボールは普通に嫌いだけど。OLチョイス。

 

OLと言えば、OL的ニート生活も完全に板についてしまった。女子力はその辺の並の女の子よりはある自信があるくらいに女子力がある。ただ、明らかに引きこもりすぎ。でもまあ、それでも楽しい。みんなにアウトドアって思われがちなのが辛い。

 

みんなにって言って思い出すのは、そろそろ彼女いないってマ?っていう反応飽きてきた。そろそろなんて返せばいいかも分からなんだし、別に好きでいないわけでもないし、いないことが嫌だなあとも思ってない。別に男が好きなわけでもない。女の子大好き全然。可愛い子超好き。ただ、それはそれこれはこれ。推しのアイドルとは結婚まではしたくないじゃん?ってことはあんまり伝わらない。なんやかんや、最近客観的に自分を見て思うのは、18〜20っていう言わば人間生活でいう最も若々しく活き活きしてる年代でこんなに精神的に悟ってガード固くして恋沙汰に煙すら上げないのは、明らかに人間的に致命的な欠陥があるか、または本当にやばい奴なのか?としか考えようがない。まあ、その辺の話は、本当に詳しく語ると非常に気持ち悪く黒歴史確定だし、多分言ってもほとんどの人が分かってくれないから絶対に公共の電波に晒さない。

逆に俺が何年彼女いないで居られるか誰か予想してみてよ。当てたら700万くらいガチで上げてもいいよ。n≧2.8くらいかな。誤差は小数第3位まで認めよう。こういう事平気で言っちゃうから駄目。駄目だね〜はい駄目〜そんなに悲しく無いのが一番面白いね。みんなは楽しんで。

 

後はなんだろうな、人の話を聞くようになったかな。前まで聞かなすぎとかは言わないこと。

 

あとはね、中間管理職は自分には向いてないことがわかった。本当に人の上に立つってことは面倒でしんどくて、思い通りに動かないのは、結局自分の能力不足なんだよね。でもさ、なんでこんなことしなきゃいけないの、って思ったら終わりなんだよね。自然にこういうことができる人が羨ましくて仕方ないよ。

 

そろそろ終わらないと電車が終点に着いちゃう。今日は楽しみなの。

 

あとは相当一人で行動するの楽しくなってきたな。ぼっちなので。本質的に。人類皆。

 

あとはな〜、思い返したらあんまり無いかもね。そう、結局この程度、薄っぺらい。中身なんて無いの。そんなのに節目だからって思い切って着飾って生きて、下駄履くのは疲れちゃう。だから、何も考えずに思ったまま生きて生きて死ねばそれでいい。結局、3,000字ちょっと。1日に換算すれば、10字/日くらいしかない一年。それがあと何年積み重なってしまうんだろうね。生きることは惰性で怠惰で仕方ないね。

良いお年を。