豚野郎
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない
さっき、最終回を見終わって。
聖地巡礼まで行った。人生を変えたアニメの一つになりそう。
来夏、劇場公開だからそれ次第かな。
ラノベかはともかく、小説を原作にしたアニメは非常に感覚をもっていかれる。
Twitterで見たんだけど、純文学は現代のリア充には絶対に向かない。リアルに充実している人は、他の人のこと、ましてや架空の人を恋い焦がれ、思い尽くし、考えることは出来ないと。
それについて、何か思うことは確かにあるけど、確かにそう。
今のところ人生変えたアニメに
氷菓もあるんだけど、やっぱりアレもそうなの。みんな一人一人の架空の人物の気持ちに立つと、息苦しくて、切なくて、つらくて仕方がない。
青ブタでは、幾つかのヒロインが思春期症候群であった。
何故、そうしなければいけないのか。
どうして、こうなってしまったのか。
彼女たちは思い悩み、苦しみ、何かを乗り越えることが出来たのだろうか。
見られることへの抵抗が、身を隠させた。
存在を認識されないこと。意識の外に離れてしまっても、忘れないでいたいこと。誰しもに忘れられてしまっても、最後までは、忘れないでいたいひと。
体裁を保つことのために、サイコロを振り直す。
合わせないといけない暗黙の了解。自分の作り身のせいで何もかも、自分のことも分からないようになってしまう。「これが本当に正しいんだ。」って思うことは、本当に自分の気持ちから来るものなのか?
もうひとつの自分が、もう一つの自分を生む。
誰かに認めてもらいたい。そんな気持ちに間違いなんてない気がする。何が変われるんだろう。何にしても、わからないから、認めてもらいたいんだろうな
劣等感と羨望が、身をそのまま変える。
他の誰も、自分にはなれないのに、どうして人は自分に劣等感を持ち、他人に嫉妬してしまうのだろうか。悲しいことに、その存在が近しいほど、それは強く深く刺さっていく。
そして、忘れてしまうこと。忘れたくないこと。忘れてはいけないこと。
忘れてしまっても、忘れないでいる理由が欲しい。忘れなくても、忘れても、何かの理由でい続けることは可能なんだろうか。