カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

目標をもつことがいいこと

生産的に日々を生きようと考えて、結果消費的に生きている

何か忙しいのか、と言われれば、ああ。忙しいよ。そういうけど、まあ、別に特段忙しいわけではないかと思う。

忙しいって言葉は正直なところ甘えで、規律的な睡眠時間と、ある程度の趣味の時間、それらが約束されている時点で、別に忙しくともなんともない。

ただ、「やらなきゃいけないこと」に割かれている時間が多くて、それが「やりたいこと」と一致している場合が最近非常に少ない。

なんか、関数の第一象限二象限…みたいなグラフに、時間軸と重要度軸を設定した意識高いめなシートってよくToDoのハウツー本で見るありがちなアレ。

アレを機械的にこなすだけの毎日に何の意味がある?

それが「やらなきゃいけないこと」とする人生が怠くて仕方ない。自由業というと話がまた変わるのかもしれないけれど、ある種「行き当たりばったり」とか「思いつきでふらっと」みたいな生き方が楽しいと思うんだけどな。いつから自分で期日とかノルマとか最低ラインみたいなのを設定して、それを上回らないといけないと思いながら生きるようになってしまったんだろう。目標を立てることは良い意味で生きる指針を与えてくれるのだろうけど、その過程にある時点で、目標それ自体を本当に達成するためにやってるの?って、それを1ミリの疑問も感じずにがむしゃらに何でもできて、自分の思った通りに進めて、なんにも邪魔がないならきっとイージーな人生なんだろう。

 

そうじゃないから面倒なわけで、自分が決めたいろいろなルール。別に誰にそうしろと言われたわけでもないのに、勝手に自分で人生縛りプレイをする。そうしないと本当に完走できないのか。と、そう言いたいわけ。社畜体質とかいろいろわからないけど、結果的に何を最大の幸福として、最大の目標として生きているのかわからなくなるというか、前提から覆されると、どうしていいか、わかんなくなっちゃうよね。知らんけど。