カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

俺は理解されたくて生きてるわけじゃない

そう最近は思っている。

いろんな人間がいるところ、自分がそうであるように、大して人は悲しいくらいに他人にそこまで興味がないんだ。

だから、任意の誰かに自分のことを解って貰おうなんて考えは辞めてしまった。それよりも自分の深めたいところを深めて自分好みの深みを極めて行くほうがずっと自分の中で幸せに生きられるからだ。

 

そういう思想を持って生きている以上、やっぱり内向的だし、自分は道化だと思われるのは構わないが社交的で協調的だと思われるのは心外だ。自分は人の喜ぶことをしたくないわけではないけれども、それ以上に自分が喜ぶことで自分を満たし続けたい旨だ。

 

"他の誰も僕や君に なれるわけじゃない"

そう考えると、何だかんだ楽になる。自分は自分、人は人なのだ。

そういうなかで自分が興味のあることで満たして生きて、自分の周りをノンストレスな世界に創り上げることがそれほど悪なのだろうか?それでひとに迷惑をかけるのはダメだけども。自分の求めるシンプルな世界に削って削って最小限に生きる綺麗な世界を望むことに何の問題点があろうか。

嫌なものは嫌なのだ。俺の愛してる何かが他人が嫌というのは構わないし、相手が愛してるものは自分が嫌いなら嫌いとそう言う筈だ。但し、それより深入りしない。特に何も触れない。それでいいじゃない。別に触れなければ。何故触れようとする?何故確執を目立たせようとする?つくづく俺には分かるまい。解っても嫌だ。

 

理想論。選択に全て自分の意志、他者からのバイアスがかからない完全無欠な世界が欲しい。無理だけど。社会の壁。心理的信圧。つまらない何かに押し潰されて、俺には何が残るんだろう?だったら、自分が自分だとわからなくなって仕舞えばいい。そう思う。