カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

声も上げられないのが1番怖い

モブキャラ、の定義は人それぞれ様々なのかもしれないけれど

 

自分が考えるに、1番恐ろしいのは

「みんながそうだから、ぼくもそう。」

という考えを何の抵抗もなくスッと飲み込んでしまうことなんだと思う。

そこに自分の思考回路は全く機能していないし、それなら誰にだってできることで、それはつまりモブキャラの行動なのでは?と考える。モブとして生きることに抵抗も不満も無くなってしまったら、本当に個人的には生きている意味ってものを失う。自分は何のために生きてる?俺自身は、自分の理想像があって、それに近づくように選択肢が現れたらより最適解を選んで選んで選んだ先の自分が今の自分でありたいし、これからもその選択を続けて何億通り分の1の確率事象の先に生まれた自分を見つけていく作業なんじゃないかな?ってなんとなく自分なりに人生の理由というものを見つけたけれども。

 

例えば

「大学生だから自由を謳歌する」

だとか

「世帯主になったから浪費は控える」

だとか

あるコミュニティに属したり、ある称号を得たりすると、それに準じた行動が用意されていて、さもその通りに動け、お前はCPUになれ、そう言われてるような錯覚に陥る。

遊ばないで毎日せこせこ勤労する大学生だっていてもいいと思う。僕が許せないのは、そういう所謂マイノリティーにこの日本社会が優しくないところだ。

「思いやり」とかクソ綺麗事な言葉並べて、マジョリティーがマイノリティーにさも寄り添うようなごっこあそびの、感動ポルノじみた行為もそうだし、逆に普通に嘲笑したりバカにしたりするような行為もそう。結局

「○○なら、〜〜であるべき」

みたいな固定概念のもとで生きていかなきゃならない不自由さ。没個性。限りなく没個性。

ヒトは個性に富んだ素晴らしい生き物だと思う。それが潰されてしまうような文化とか宗教とか思想とか。そういうのがあるのなら消えて仕舞えばいい。自分は自分、他人は他人でいいのに。人は究極には1人だってそう思うから。国家主義的な考え方からは逸れるけど、でも、個人としてしっかり二本足で立てる前提で当たり前のレベルを増やしてこその組織ってものじゃないのかなってな