カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

『ファーストラヴ』を読了して。

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大人の読書感想文なんて言ったらいろんな所からお叱りを受けそうだけど。

世の子供達はこんなクソ暑い時に外に出ることもせずせっせと本を読んで感想文を2000字とか書かされんだろうな。と思うと可哀想だと感じる反面で、なんで自分は小さい頃から読書を趣味と為すように教育機関から使役されていながら、今更になって本を読むことの切なさに気づいてしまったのだろう。鳥は籠から抜け出してから、籠の中の安穏とした、平和を約束された世界に初めて気づかされて、一人で生きることの恐怖を突然体験する。それが幸せなのかどうかはそいつに聞いてみないとわからない。

 

それでいて、『ファーストラヴ』を狭いバスの車内を読み終えて気づいてしまったことが幾つかあった。

メンヘラは伝染する。いつか自分はそう言ったことがある。これはある種、自分の中では語弊があって訂正し改めなくては、と感じたところもあるし、あぁ、やっぱり伝染するんだな、そうぽつりと感じ取った。誰からともなく。そういう言葉が今ここでは当たり障りのない正しい言葉で、自分自身がそう腑に落ちさせるための強引な理由づけだろうと自分でも理解はしているが。

 

突然父を殺した環菜にあった殺意は本当に殺意なのか。ノンフィクションで著作を依頼されて話を聞く臨床心理士の、この物語の主人公である由紀は何を感じて面会に向かったのだろう。度々、【あと何度ここに向かうのだろうか】といった趣旨の文面があったのが酷く印象的だった。話すうちに態度が変わっていく人間と話すのは確かに自分も得意ではないが、その心理的な変化の理由に何があったのか。

 

人は嘘を付くとき、必ずしも理由があるのだと思う。その理由、というのも、必ず(そういうと、あまりにも自分自身傲慢なのではないか?と恐縮してしまうが)、他者との関係性が伴うものなのだろう。正直自分自身もそうだし、皆もそうだろう。自分が嘘をついたとき、脳裏には他者の顔がチラつく。そうしないように意識すればするほどにだ。それで、環菜の証言に、周りの人間との証言に時折ズレが生じたとき、自分は事件を撹乱させる手段なのでは?と懐疑的な視線を向けたが、物語の終盤、その考えは猛省とともに覆されることになる。嘘を付く、というある種軽はずみでも重くのしかかる罪の裏側の淵の部分に、我々はもっとはやく気づかなければいけなくて、そして、自らの嘘を省みなければならないとある種義務のような貞操観念が自分の思考の中に植え付けられた気がする。

 

そして、愛というテーマ。感情もまともに表現できないような人間の端くれが愛というものを寸評するのは、客観的に見て些か不可解であるのは自覚するが、あるひとつ、説を提唱するなら、愛は100点満点で数値化するのであれば、その最小値は0ではない、ということだろうか。負の数で、その小ささも正直自分でも計り知れない。負の極限値だ。我々は空っぽのゼロの心をプラスに満たされたくて愛されたいと考えているのなら、その時点で幸せなのだろう。愛の最小値が0だと錯覚してしまっているのなら、そこまで幸せなことは世の中そうなかろう。マイナスから始まって、どんなに幸福感に満たされてると周りから思われ、羨まれても、それがマイナス値からマイナス値への増加としか当の本人が感じなければそれは不幸でしかないのだ。今更付け加えると、ここで言う愛は性愛だとか、家族愛だとか、友人愛だとか、様々なジャンルから絡まり現れるものであって、だからこそ恐ろしさすら感じる。その恐ろしさと直面できる強さをまだ自分は持っていないと知らされた。怖かった。

 

そして、自分がこの本を手に取るキッカケとなった、「メンヘラ」というワードについて。これは一概にどうこうである。とは言えないが、繰り返し言えば、やはりメンヘラは伝染するのだろう。これは自分の中では確信に変わっている。愛を愛で埋め、その愛がいい意味であっても悪い意味であっても、人間という空っぽで脆い器はそれを求めてしまう。だからこそ面倒臭くて、人間臭くて、しんどいとそう思うのだろう。いや、しんどいなんて言葉で片付けるのは不条理なのだ。メンヘラという言葉は一時期前にネットスラング的な広まりを見せ、ある種のファッション、ステータスたる側面を持つまでの一般的俗語にまでなった。ただ、それを我々はひとつのクラスタとして纏めるだけ纏めてそのままにしているのは、果たしてただしいのか。そういった問題提起を同時にしたい。生きとし生ける人間、みんながどこか一部に「メンヘラ」たる側面を隠し持っているのではないだろうか。自覚があろうが、なかろうが。自分が恥ずかしながらそう感じているからだ。愛など不要という人間はいても、どこかでその空っぽの器が愛を求めている。それをもっと綺麗な、透き通った形で人々は皆幸せになれないのだろうか。わからない。わからないし、小学生が苦労する2000字を超えたので、とりあえず放り投げて終わろうって思った。言いたいことだけ言って投げっぱなしにするのが非常に自分らしいかな、って言い訳をしながら終わり。自分の中に少しでもメンヘラな要素があるって、自覚がある人がもしいるのなら、読んでほしいな、と思って書いてみました。