好きと得意のズレ論
好きなこと。だけど、あまり得意でないこと。
得意なこと。だけど、好きでないこと。
二者択一。どちらをやるべきなのか?っていう究極の選択をたまに考えるんだけど、
ずるいことを言えば、好きで得意なことをやるべきなのだとは思うけど、
何処かで聞いた話を言えば、
「例えば野球が大好きでやって、プロ野球になるほど得意な人は一握り。ほとんどの人はプロになれない。野球が上手くならないもどかしさから、野球がどこかのタイミングで嫌いになってしまうのでは?」
という過程の話。
好きでいても、得意でないなら、段々嫌いになっていってしまうのではないか?
野球に限らず、様々なスポーツには勝敗が付き物で、ケガも付き物。
負け続けて、悔しくて、その競技自体を嫌いになるかもしれない。ケガ続きで、その競技自体が出来ない辛さで嫌いになるかもしれない。だからこそ、得意なことを伸ばす。そして、それがあまり好きでなくても、成功体験、達成感から好きになっていくのでは?次第に。という考え方。
自分が得意だと思うことは次第に優越感から好きになるし、不得意だと思うことは劣等感から嫌いになる。
なにもかも、それは相対的な他者との比較評価から生まれるものが大きいのだろう。スポーツのケガとかは、スポーツ以外で当てはまる例があんまり見つからなかったので。
他者と比較しなければそれは楽しいし好きになるのだろうか?でも他者と比較しないと嫉妬も生まれないし競争も生まれない。向上という点ではなにも生まれないのだろう。
で、本線に戻ると、やっぱり自分の中で楽しいなって思うことだけで、自分の周りをいっぱいにしたい。それが得意かどうかは二の次にして。
プラスの感情からしか自分の生きがいって生まれないから、自分が嫌だなって思ったことは、それが「やらなければいけないこと」でない限りは、やらない。それでいいと思う。逆を言えば、自嘲的に、「やりたくないw」みたいなことをいうのはタブーだと思うし、逆にやりたくないことやってる俺カッケ-みたいになって意識高い系みたいで無理いからダメ。
好きなことでいっぱい。簡単なようで難しい。好きになる努力をして、好きだと言える範囲を広げるのが手っ取り早い気がするけどね。
まあ、そうは言っても好き嫌いは激しい性分なので、嫌いなものは嫌い。苦手なものは苦手。だから、それをなるべく思わないように、初期の段階から間引く努力も大切だと感じている。必要な時に必要なものだけを得られる。そんな世界がいつか訪れるのだろうか?これに関連してSNSのない時代に生まれたかった論もあるのだけど、これは後程で。