カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

この6年でお世話になった皆さまへ。

高校1年から真剣に始めたものが、気づけば大学3年まで続き、

そして昨日、引退となりました。

 

競技生活とすれば、7月には終わっていたし、部活動とすれば、まだ写真部に所属しているので、完全なる引退とは言えない微妙な時期ではあります。

 

ただ、自分の人生で、大きく成長させてくれた、大好きになれたものです。

昨日は夜疲れ切っていたのと、朝から予定があったのでまとめることはできませんでしたが、

今の気持ちを、少しだけ書き連ねられたらな、と思っています。

 

陸上競技の好きなところは、個人競技なんだけど、個人じゃないってところだと確信しています。そんなことを思った過程を話したいです。

 

高校の時、なんとなくの好きで始めたものが、いつからか大好きになりました。

きっかけは何だったのでしょうか。色々あったから、これと決めきることはできませんが、高校の授業、6時限目あたりから、はやく部活やりたいな、とそわそわしていたのを覚えています。

 

走るのが好きでした。風を切る感覚も、タイムが出てくるある意味での残酷さも、走ったあとの筋肉の張りも、酸素を欲する肺も。

それは、自分の記録を更新したとき、イメージ通りに走れた時、誰かに勝てた時はうれしかったし、負けた時は悔しくて絶対次は勝ちたいって思って、そんな試行錯誤の練習が楽しくって、ただの練習数時間でも、身体を動かすだけじゃなくって、色々考えられるのがとっても大好きでした。

 

東北大会は、なんだかんだで3年間経験させて貰いました。そこではいつも、強くなりたいし、強くありたいと思ったものです。

 

最初は、いつもあんなに速い先輩たち、凄い先輩たちでも勝てない世界があるんだってことを学んで、

自分が出場するようになってからは、勝てない悔しさとか、あと少し手を伸ばせば届いた世界に行けなかったつらさとか、痛いほど経験して、もっと強くなりたいと思って、

最後の年は、個人競技でも出場することができて、改めて、この舞台に立っていることがこんなにも素晴らしくって、あのスタート地点から見える景色がキラキラと輝いていて、スタート直前の静けさに身震いがして、終わったあとの達成感が何者にも代えがたい快感でした。

 

自分は、特別才能とか、生まれながらの力とかはもっていたようには思えません。

大して強くもないし、県大会で4位になるレベルが丁度いいと、表現上適切だと思うほどです。

 

でも、始めた当初は、自分がそこまで強くなるとは予想すらしていませんでした。

強くなりたい、そう願った瞬間から、練習が楽しくって、それでもへらへらしてる楽しいじゃなくって、何かが変わっていく楽しさの虜になっていたんだと思います。

 

そんな感情、どういった根源から湧いてきたのでしょうか?

 

それは、競技自体の楽しさだけでは見繕うことはできなかったのは確かです。

 

いろんな人が、応援してくれました。支えてくれました。アドバイスをくれました。時には叱咤してくれました。

それを自分なりに噛み砕いて、吸収して、いろんな人からの力を借りながら、得られた結果だと思っています。

 

練習では、競争をすることで成長ができました。そのあと、あそこはどうだった、ここはもっとこうしたい、などたくさんの話をお互いにしました。タイムを測ってくれる人がいました。動画を撮ってスローモーションで見せてくれる人もいました。アイシングの準備を頼んでもいないのにしてくれた人がいました。

 

その一つ一つが本当にうれしくって、それは自分ひとりだったら決して出来なかったことで、それが力になりました。

 

大会があって走ると、応援してくれる人がいて、動画を撮ってくれる人がいました。

走り終わった後に、すごいじゃんってほめてくれたり、次ここはこうしたほうがいいって教えてくれたり、動画を見返すと、頑張れって、いけいけって、よっしゃーって、いろんな応援が聞こえてきて、そのひとつひとつが嬉しくって、何度も自分の走りの研究をしながら勇気を貰っていました。

 

その声が嬉しくって、自分はいつしか強くなりたい、もっと走りたいの理由が、それになっていたのかなあって思います。

 

応援することが好きです。なぜなら、応援されるのが大好きだからです。自分の一挙手一投足が、誰かに見られて、いろんなフィードバックを貰えるのがとっても幸せなことだと思うからです。

応援されるって本当に幸せなことで、だからこそ、応援される人間で在りたいなと、人生レベルで思うことがたまにあります。

もっと言えば、応援してもらえた分だけ、自分はもっと皆んなのことを応援したい。何かの活力にしてくれたら、それで本望。それくらい思ってます。

 

そうして、自分は自分が予想していたよりもずっと強くなれたからです。

しんどいことも、楽しくできることを知れたからです。

 

お互いに語り合って、成長していく感覚が快感だったからです。

 

こういった過程を踏まえて、ただ好きだったものが、大好きになったんだと思っています。

 

結果、大学でも続けて競技に勤しむことができました。

 

走ることはとても楽しいことです。

息は苦しいし、怪我したら痛いし、別に1日に最低限必要な分だけ運動したら、あとは無駄な浪費と捉えられることもあるのかもしれません。

でも、そうだとしても、無駄にするだけの価値がある、大切な大切な競技であることは間違いでないです。

 

やはり、そうやってつらいこともきついことも、楽しさとして変換することができたので、無敵だったんじゃないかな、と思います。

 

自分は、勿論大した選手ではありませんでした。歴史にも語られない、無名選手であることは間違いありません。

全国で1,2を争う選手でもないのに、サポートしてくれる人、応援をしてくれる人、観てくれる人、たくさんの素敵な人に囲まれて、自分の好きと理想を追求することができました。

それって、よく考えなくても素敵なことで間違いないし、こんな自分めになんて優しい人たちなんだ、そう思ってやまないのです。

 

実力がモノをいう世界ではありますが、そうじゃなくて、無償の愛を提供してくれる人たちがいたからこそ、頑張れて、ストレスなく走ることができたと確信しています。

だからこそ、自分がそうしてもらったように、いっしょうけんめい頑張っている人へ、自分がもらった以上の愛で恩返ししたい。そう思います。

 

実力とか、身分とか、関係なく頑張れるのがスポーツの本当に好きなところです。

そして、いい意味でも人間臭さがあって、ああ、この人、このチームのために頑張ろうと心から思える居場所があるのが、本当に素敵なことだと思います。

 

自分もよく言うことですが、「組織に妥協は必要」とよくなされます。

でも、自分が心から好きだったそこは、「妥協」という表現にネガティブなものは一切ありませんでした。

みんなのために頑張ろう。みんながこんなにも素敵だから、もっと自分もみんなを応援したい。だから、自分はこんな形でみんなに貢献したい。そうして行動するものは、自分のなかでは「妥協」とは定義していません。それを喜んでできる環境であったからです。それが自分のやりたいことと直結したからです。勿論その裏付けには、自分が心から応援したいと思う人がいました。一緒に強くなりたいと思う仲間がいました。応援されて照れくさくてうれしくなる人がいました。

 

それが、気づいたら自分を構成する大事な一部となって、自分のモチベーションそのものになったんだと思います。

 

だからこそ、自分がその幸せを享受したからこそ、これからも、何かあるにつけて、本当にいっしょうけんめいな人、頑張っている人、思いやり深い人、そんな人に手を差し伸べられる人間でいたいと思っているんです。

 

それは数値化できる、可視化できる情報を根拠にするわけではありません。ひょっとすると数値化できないような、ぱっと見では現れないような努力をしている人、誰知れずと皆に対して真摯な人、当たり前に感謝ができる人、気遣いができる人、実は誰よりも自己犠牲が出来ちゃう人、そんな人に手を差し伸べて、心から応援できる自分でいたいと思っています。

 

そういうことをするのが、ここまで自分を大きく強くさせてくれて、良い思いをさせてもらって、最高の景色を見せてくれて、自分のことのように僕の結果を誉めてくれて、喜んでくれて、時には真剣に向き合ってくれた方々への自分ができる恩返しの一つだと思っています。

 

走ることが好きです。これは多分走れなくなるまでは変わらないと思います。これからも走ることはやめることはないはずです。

 

今のところ、次の目標は東京マラソン完走です。

 

こんな自分に、素敵な生きがいを作ってくださいました。それを、もっといろんな人に、今度は自分が与えられるような人間になりたいなって、そう思うんです。

 

それもこれも、自分の6年間の競技人生を支えてくれた、あなた、あなた、あなた、そしてあなた、ついでにあなた、最後にあなたのお陰で間違いないんです。

 

感謝してもしきれません。ありがとう。