カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

死ほど楽なものはない

自分は宗教観が無い人間だから、死んだ後は全細胞の機能が停止するだけで、感情というものがなくなってしまい、死後の世界なんてないし、今まで細胞の、一個一個の分子が活動を行ってきただけだからそれが無くなれば感情も無かったことになる。ただそれだけの死って思っているから、死ぬこと自体は嫌じゃないのが本音だ。

 

人間は感情を持っているから、嬉しいことも感じるし、嫌なことも感じるはずだ。嬉しいことばかりではあればそれは幸せだけど、人生はそんなものではない。辛いことだってもちろんあるし、もしかしたら辛いことの方が多い人生だってあるのかもしれない。

 

だから、生きてることが辛いって思ったら、別に死ねばいいやって個人的には思っているよ。死んだら誰が悲しむとか、困る人がいるとか、でもそれって、死んで感情が無くなった自分には事後的には一切関係ないし問題ないよね。

 

しかも、残念なことに、自分って自分が思っているほど社会的な価値って薄いものだから、自分が死んでも、長く見積もっても100年もすればいても居なくても変わらないような存在になるのは確か。

 

だから、 "無理して生きる" っていう発想が理解できないな、面倒になったら人生もリセットボタンを押していい。きっと押しても許される。許されるって誰に?

 

逆に、「生きる」ってどれほどめんどくてしんどいものなのか?って議論も同時にしたくて、話題の死刑制度にも触れるかもしれないんだけど、

 

「死をもって罪を償う」ことが最大の刑、とみなすのが普通なんだけど、

死ねばそこで終わりなんだから、むしろ楽なんじゃないか?って思う。

 

むしろ、寿命を全うし続ける中で、ずっと、ゴミ以下の扱いをされ、奴隷のように生活し、常に社会から批判され、毎日のようにネット民から嫌がらせを受けて、誰にも相談できなくて、守ってくれる人がいなくて、それでも、ずっと生殺しにされたまま生きて、生きて、生きて、生きて、老いて、身体がだんだん不自由になって、辛い思いをして、辛い思いをして、苦しんで苦しんで苦しんでゆっくりゆっくり時間をかけて死んでいくほうがよっぽどしんどいと思う。

 

 

「いっそ殺して」

なんて言葉が陵辱系の書き物で台詞として添えられることがあるけど、いっそ彼らにとっては、「死んだ方が比較的楽」という発想だってあって良いんじゃないか?

 

死は最大の苦痛、そう定義するには、「生」にはもっと恐ろしくも卑しいマイナスのポテンシャルを秘めているのではないか?

それでも、生きることに希望を見出して、その中でも生きたい、そういうのが通常の発想ではあるはずだ。

 

 

自分は、別に今は死ぬほど苦しい思いをしているわけではないし、結構自分のこと大好きだし、やりたいこともできているし、経済的にひもじくもないし、なんとなく生きている。

 

この "なんとなく" っていうのが、人生を進むうえでなによりも不誠実なのかもしれない。生きているなら、生きているに相応するほどの情熱を燃やさねばならないのではないだろうか?

 

そう考えて、今までの持論を元に、

 

「じゃあ、なんでお前は自殺しないの?」

そう聞かれたら。

 

▼いや、推しのアーティスト活動が終わるまでか、結婚して幸せな人生歩み始めて安心するまでは死ねないかな

 

▼今YouTubeとニコニコでそれぞれ実況シリーズ追ってるから、それが完結するまでは死ねないかな

 

▼今期のアニメが終わるまでは続きがきになるから死ねないかな

 

▼折角大学まで親の脛かじって学んだことだし、たくさん金稼ぐまでは死ねんかな

 

▼バイトのシフト入れちゃったし、今出してるシフト分までは生きてないと店大変かな

 

今パッと考えた理由だけでもこのくらいはある。

 

それも、前述した「死ねば感情が無くなるから意味ないじゃん」

ってこと。そう言われればそうなんだけど、

 

特に上の方は自分の「好きなこと」「やりたいこと」だから、逆に言えば「つらいこと」「嫌々やってること」じゃないから、まあ生きてるのかな、そう思ってる。

 

だからこそ、特に人生について未練とか思い残すことが無ければ、パッと死ぬと思うよ。

 

人生って思いのほか冷めた目で見れば未練なんてほとんどないようなもので、思い入れがないもので周りを満たすと割りと簡単に死ねてしまうのかなと思ってます。

 

みんなによく言うことなんだけど、俺はみんなの葬式に行くのは精神的にも肉体的にも金銭的にもしんどそうだから、俺はみんなよりも先に死ぬよ。だから、葬式は来てくれよな。