カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

上京して2年が経ちました。

嘘です。本当は2年と2日経ちました。

3月25日が独立記念日なんだけど、全然忘れてて、そんなことより給料日だったから、口座に入ってゆく8万5千をニヤニヤ眺めてただけなんだ。

それくらい、別に特別なことでなくなってしまった感があるのかもしれないね。

 

今、2種類書くことを考えていて、1つは、一人暮らしをしていて感じること、イメージと現実とかそのほか。

もう一つは、地元のこと、実家のこと。これは結構タブーだと個人的に感じていて、今まであんまり核心を突いた話はしてこなかったわけで、だからこそ、ちゃんと話そうかなと思います。

 

じゃあ、まず感じたこと。箇条書きでいいかな。

・ごはんって意外と炊くのすら面倒なんだね。炊飯器洗うの億劫だし。

・ホームシックなんて感じなかった。今も実家に帰りたいな、とか地元が恋しいなという感情はあんまり湧かない。これは後述されるのかもね。

・人肌恋しい瞬間、一人が寂しい瞬間が来なかった。

・東京に勝手な幻想を抱きがちな田舎から出てきて、まあ、東京も所詮こんなもんか、と腑に落ちる瞬間が幾度かあった。

・訛りがあんまりでないから、訛ってと言われると難しいことを知った。でも2分くらいロングトークすると不意に出る訛りにも気づいた。

・通勤通学は近いほうが圧倒的にいいことを知った。就職してからもいい糧になる。

・スーパーでの金銭感覚はまだ身につかないけど、外食の値段の高さは尋常じゃない。これは1か月くらい経ってから知る。

・プライベート空間が家しかないことを知った。ゆえに、ヒト(意図的にこの表現にする)を家に入れると次の日非常に気疲れする。

・洗濯なんて何も考えずにできるけど、少し考えないと服はすぐ傷む。

・自分は天性的に一人で過ごすことを苦にしない。

・親はあんまりにも連絡してないと連絡をしてくる。

・ジュースは1.5LPETよりも1L紙パックのほうがいい。

・いまだに資源ごみの出し方の最適解がわからない。

・掃除をあんまりしなくても生きていける

・自分の脱毛力に脱帽

・自分は全然独り言が多い。

・門限がないけど、しっかり帰ることはできるし、不埒な人生は歩めない性分らしく、客観的に見れば非常に灰色な人生を歩んでいるのだろう。俺は割と今の生活に満足しているんだけど。

・女の子は連れ込むものではない。自分のガードの高さには日々回帰し敬意を表する。

 

終わり。あんまり考えてないから惰性になりそうだ。

 

地元について、実家について考えていること。同時に将来のことも話すことになるんだけど。少し話します。

 

なんで先述したようにしっかりと保険を掛けたかといえば、もちろん、今からネガキャンをするからで、いや、おまいはここで今までポジティブな発言をしてきたのか?と言われればそれまでで。

 

自分は、大学を卒業しても、就職しても、転職しても、結婚しても、離婚しても、おじいになっても、死んでも、地元に帰って生活はしません。

上京。古都の考えに基づく言い方が今も風潮として残っているけど、ほんとうにいい言葉で、自分はそれだけの覚悟をもって東京という所に来た。確かに厳密にはそうではないけど、自分のなかでは退路を断って東京に来たつもり。

 

上京して引っ越しをするとき、あまりにも荷物が多くて、ほとんど持って行ったから。帰省するたびに、すっからかんになった自分の実家の部屋を見ると、寂しさの中に満足感を感じる。

自分は東京で生きて、東京で金を稼いで、東京で死ぬんだろう。そういう人生設計を持ってる。それは勿論簡単でないことはわかっていて。

お金がないと一人で生きていくことはできない。大学生というのは虚構で、まやかしでしかなくて、結局親のお世話になって生きさせてもらってる。完全に自分の力で生きたい。それならば、自分は使えない人間じゃだめで、優秀でないとこの資本主義社会は生き残っていけなくて。だからしっかり生きていこう、有能であろう、と自分を律して生きているつもりだし、自分のここ当面の目標の、年収1千万をかなえる直接的手段だと思う。この大学の4年間、もう折り返しだけど、自分は誰にもまけない魅力的な人間になって、すごい人になってちゃんと頑張って生きていくんだって決めてる。

そう思うのも、自分の無力さを高校あたりで自覚したから。前も話したかもしれないけど、大学入学するときに見た夢、自分の4年間を代償に支払われるお金と、自分の人生の値打ちについて、真剣に考えた。自分は、自分の理想となる自分に向けて日々頑張って近づけるように努力すべきで、そうしないと、自分に今までかかわってくれた人、お金を支払ってくれた人、優しくしてくれた人、認めてくれた人、好きになってくれた人、信頼している人。ほんとわずかな人たちだけど、その人たちに顔向けできない。少しでもそういった部分で恩返しができたらって本気で思ってる。言葉にすると急に安っぽい。でもこれが人生観というか、死なないためのモチベーションというか。そういった人生哲学。

 

でも、論点がずれてると。結局地元についてどう思ってるのか?

好きではない。という回答が正しい。

一見残酷に見えるこの回答も、相当オブラートに包んだ。嫌い、と言っていないから地元まんじまんじの人がもし見てたら許し乞う。

 

田舎のノリがはっきりいって合わない。いやこれは自分のことわかってる人は自明かもしれないけど、俺は何かのもの一つに執着するのが嫌いだから。なぜなら、そればかりに固執して視野が狭くなること、ほかの楽しいことが見失ってしまうことが嫌だから。

(当人がどう思っているのかはそれは個人の意見だから、尊重するけど、あくまで俺の主観的観点で)無駄に人と関わらないといけないのが面倒だ。人とつながっていないとダメなくせに、よそ者が入ると白い目で遠慮がちに本来の自分をさらけ出さなくなって、小さいコミュニティでイキってるだけの人間が嫌いだ。

人とのかかわりをすぐ主張するくせに、噂話ばっかりして、あそこの誰々さんがこうで、とか、勝手に自分の知らない所で意図しない評価が蔓延する環境が嫌いだ。こういった、コミュニティと内輪ノリと凝り固まった倫理観しかない世界観は、自分の居心地の悪さをより一層加速させる。一度ダメだと感じてしまうとなかなかそれは取り戻すことは難しいから、結局今も好きではない。という結論に帰結する。

 

まあ、東京でも全くないよねと言ったら、それは嘘になるけど。でもまあそこまででない。

親戚まわりにもそういった観点があって、詳細に話すと色々マズそうだからちゃんと話さないけど。お盆正月はある意味苦行ではあったし、今もある意味苦行だ。大学に入ってから、部活の関係でお盆の帰省は「逃れている」し、今年も正月は「逃れた」と。そう感じている。

 

多分、自分の根っこの部分での人間嫌いは、親からの影響も多少あるはずで、どのくらいの人間としての距離感が適切なのかとか、どういったポジショニングで生活すべきなのかとか。そういったことは親から学んでアイデンティティとしたことはあるはず。

 

一般的には苦手なことでも、へらへらにこにこ何食わぬ顔でできてしまうのが逆にしんどい。まあもう別にどうともないんだけどね。

 

そういった部分で、自分は地元には帰らないと思う。自分は自分で生活していきたいし、アイツは斜に構えてるよね(こういった身勝手なことを言われるのが一番ムカつくのは心にとめて)、地元のほうが東京よりもいいのに、変な奴。そう思われるくらいでいいやって思う。ナショナリズムは人生観に反する。

 

みんながやってるから僕もこうしないといけない。

 

そう考えてしまったら人間おしまいなんで。

 

 

東京に来てから、ある意味自分は自分らしく、独創的に生きていけてうれしい。広い世界から見れば、自分なんてモブキャラでしかない、そうだとしても、自分のしたいように、自由に物事を考えて、発言できて、表現できる今の環境を愛している。

 

 

冷たい、薄情。それも一つのパーソナリティだから、言いたいならそう言ってくれ。

何度も繰り返し言って強調してコンプレックスじみてて申し訳ないんだけど、俺、お前はこうあるべきだ、こうしろって言われるの大っ嫌いじゃんね。