カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

ストレスコントロールの話

そういえばまだしてなかったなと思って、ストレスコントロールの話でもしたいなと。

 

あなたは、そう、そこで今いるあなたはストレスとどう向き合っていますか?

 

ストレスのない人生なんて無い。誰しも、いつかどこかでストレスは感じていて、それをどこかに発散しないといけなくて。

ストレスの発生源は人それぞれ。

ストレスの受け皿の大きさも人それぞれで、すぐ一杯になってしまう人もいるし、なかなかいっぱいにならない人もいる。

そこで、その溜まった水をどうするか?

2つの観点から見ます。

 

1つは、どこに向けて捨てるか?もう一つは、どのようにして捨てるか?

 

 それはもう、ストレスなんて、自分の内在的な感情から発生するものがほとんどだから、自分自身ひとりで解決して発散するのが理想であるのは間違いない。多くの人はそうしようと努めている。趣味に打ち込んで忘れてみたり、何か書き物をして気持ちを整理してみたり。ただ、それでも、人はひとりでは抱えきれないくらい大きなものを背負ってしまうことがあるのかもしれない。直接的な感情の掃き出しをSNSで公衆に晒すと、メンヘラだとか、かまってちゃんだとか、いろんな揶揄のされ方があって、あんまり歓迎的だとは言えない。最近のSNSは「自分が人生を充実している有様を友達(笑)の皆々様にどうぞ教えてあげましょう」感のある世界が出来上がってしまっているから、もしかしたら、嫌なことがあってそれを発言したいのに、そういった雰囲気だったりに押しつぶされて言いたいことも言えなくなっていたり、もしかしたらそれを見て自分との劣等感で押しつぶされてかえってさらに病んでしまったり、プラスアルファでつらみが発生するかもしれない。一番いいのは、たしかに最初にいった自分で解決することなんだけど、こうやって、今SNSで広くコミュニティがつながる現代だからこそ、「とっても深く大切な人」と過ごすことが大切なんじゃないかなと自分のなかでは結論つけている。それは家族かもしれないし、親友かもしれないし、恋人かもしれない。ただ、そういった人たちのなかでも、「お互いに、それぞれの価値観を共有、尊敬している」前提のなかでからこそ、吐き出したい気持ちとかを打ち明けて、人に話すことでわかることだってあるはずだ。SNSのことをほんと毎度批判して申し訳ないんだけど、不特定多数公衆面前で自分をさらけ出すのは完全には不可能だし、非合理的だ。

 

 次に、どのように、の過程。ストレスとか、悩みとか、いろんなことがあって、それを直接的に解決するのか、間接的に解決するのかで話はまた変わってくる。趣味で気を紛らわすのは間接的だが、問題の直接的解決にはたしかにつながらない。ほんとうに悩みを直接的に解決したいなら、その諸問題について真剣に議論し、自問自答を繰り返し、人と話し合って何かしらの結論で腑に落ちて解消しないといけない。それの難しさ。ここで問いたいのは、本当に核となるような、大きな悩みっていうのは、人に相談できなくない?ということ。例えば、一つの人間関係で大きく悩んでる場合(仲悪いとかもそうだけど、愛しているとかそういったプラスの方面にも働く広義的な悩みとする)、一人に打ち明ければ、それは数珠繋ぎでいろんな人間関係に繋がっているから、色々なリスクを鑑みて、他人に話すのは得策ではないだろう。そういった結論を少なからずとも得た経験はなかろうか?だからこそ、ではないけど、それとなく、でもないけど、やっぱりストレスを対処するうえで、いかに間接的解消に努めるのか。というのが一つのテーマになるはずである。

 

ここまでをまとめると

 

「ストレスを、自分自身の内在的な部分で、間接的解消をする」

というのが、最善のストレスコントロールなのではないか。と考えてはいる。が、やはりそれは難しい。かといって「外部に直接的な解決」をすると、どうも社会的に角が立ってしまう場合、ストレスをストレスで上乗せしてしまう場合も起こりかねない。

 

勿論、自分もストレスコントロールが決してうまいほうではないのだが、、

当たり前のこと、親の躾レベルの話

「他人様に迷惑をかけることはしてはいけません」

この定義は崩してはいけない。守らなくてはならない。それは間違いなくそう。

 

でも、そんなこと可能なのか?今の時代。

 

自分は、自分の中で、人に弱みは見せてはいけないものだと思っているし、見せたらもうお嫁に行けないと思っている。だから、あんまりストレスが溜まっている風の見られ方はしたくないってのが本心で、いっつも、へらへらして、何考えてるかわからんけど、そこまでストレスとか感じなさそうだな~って見られたい。ただ、それは見せかけであることは違いなくて、実際はどこかでストレスを受け取る機会、悩まざるを得ない瞬間が何度かあるのは事実。

 

一人暮らしだということをいいことに、自分は部屋の中でめっちゃ独り言を言う。とにかく、声を出して、自分の耳で聞きたい。

誰かに言えば気持ちが楽になるのかはそうなのかもしれないが、前述のとおり人に弱みを見せるのは家訓に反するし、何よりその相手の負担となるのかな…という感覚にむしろストレスを感じてしまうから。

さて、独り言は、ある意味自分対自分の対話でもあるから、客観的に耳から聞いてみると、ちょっと落ち着く気がする。こういった書き物も、自分の頭で考えて手で入力したものが文字となって目で見たとき、客観的にこれはどうなのかまた考え直して、より深くそれについて考えられて、頭が整理するのだ。

 

だからこそ、自問自答、自己対話の習慣を大事にしてる。

 

ストレスコントロール、特にひとりごとのことで言えば、唐突に布団から起き上がるとき

「わ~~~しんどい、だってさ、そういわれたらこう思っちゃうじゃん、それってズルじゃん。あ~~こうやって自分はくよくよしてるのに相手は特になんとも思ってないんだろうな~そうだよな~うわ~つらいな~~~」

なんてしゃべりながら、洗面台に向かって顔を洗うみたいな。今これ見返したけど恋する乙女みたいな例文作っちゃったね、まあいっか。

こうやって話してる自分の反対側に、それをうんうん、そうだよねって聞いてあげるもう一人の自分がたしかに存在しているのを感じることで、一人だけど、一人じゃないよってことを何かどこかの神経細胞に訴えかける。これがある意味での、自分が一人でもある程度人より平気な理由なのかもしれない。

自分の最大の理解者は自分理論な。また思い出して2000字くらい書けそうならかくわ