カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

リテラル

メディアリテラシー、という言葉に出会ったのは、流石に中学の公民の教科書からではあるが、深く思索しだしたのは確実に高校からだ。

 

高校1年の時の公民の先生が由来する。結論から言えば、彼の授業はとても授業とは言えたものではないが、絶妙な面白さがあった。テスト前にちょこっと解説するのみで、基本的には、ニュースについての解説とか、(多少左翼っぽさはあったけど)所感を述べてくれた。

 

その中で特に、一番最初に衝撃を受けて今も残ってるのは

 

「現自民党内閣を、支持するような文責で書く新聞社と、避難する立場で書く新聞社がいる」

ということだ。メディアの概念とか、歴史とかはそういったことは興味がないから成り立ちは細かくは語れないけど、同じニュースを取りあげても、書き方ひとつで良い印象も悪い印象も与えかねない、それが、報道というものであり、ライターの腕の見せ所なのだろう。

 

そこから得た感情は、間違いなく負であった。なぜ、事実を、いっぺしの第三者の書き方ひとつで、捻じ曲げられなくてはならないのか。

 

政治に関わらなくても、エンタメ業界、スポーツ業界でも同様のことは起こっていて、それをいたく問題すべきだと思う。

 

報道に感情は必要なのだろうか?ただ、粛々と事実を述べるだけの報道が、良い報道足り得るのか?それはノーだ。大衆には、専門知識がないし、判断決定力も弱い。要すれば、「ちょっと詳しい人の意見を聞いて、私もそうしよう!」って思える、そのプロセスさえあればどうでも良いのだ。

 

ただ、最初からそれに甘えきってしまうのは国民主権であるこの国においては怠慢この上ないだろう。

 

いつも思う。現なんとか政権が、ネット上、国会前問わず、様々なところで右だとか左だとかいろんな人が轟々に非難しているくせに、内閣支持率は依然として高いままだし、選挙をすれば現政権の圧勝。この違和感を感じて5年も経つ。

 

本当に政治に関心のある人が、良いだの悪いだのいうのはそれは構わない。ただ、興味のない人間たちが、どう感じるか、それをどう感じるかはいささか関心深い。

 

選挙における、「浮動票」の存在定義だが。

彼らは何を判断基準に動いているのか?

 

もうそう言えば10年も前になるが、政権交代という名のもとに政界が大変遷を起こした時、なんやかんやで彼らの内閣支持率はガタ落ちしていた。なぜか?それは簡単で、政権を得た時に公約した文言がほとんど守られていなかったから。約束を守れない人間が上に立つべきではないという大衆の結論。大震災での対応なども追い打ちをかけて、数年の命となった。

 

では今は?彼らは何を掲げて政権を奪還したのか。そして、彼らが支持率を前政権と比べて低下しないで、首相が頻繁にコロコロ変わることなくいる理由は何だろう?

 

余談だが、現政権が発足する前の選挙の時に、自分は中学だか高校生だったが、タイムラインにこんな文言が流れていた。LINEで

 

「【拡散希望】うちのばあちゃんが言ってたけど、今選挙してるけど、ぜったいに○○党には票を入れないで下さい!あの党は、憲法改正を公約に掲げていて、戦争が再び起きてしまいます!憲法9条が改正されて、戦争する国になって、今の学生が大人になる頃に徴兵が行われるそうです……」

 

みたいな。面白すぎるよな。完全に文章は一緒ではないけど、ほぼこの内容。

一次データ二次データという言葉がある。これは完全に二次データ、いや、三次?惨事データかな。

 

根拠がない。いっぺしの素人に何がわかる?専門家がそう言ってた?少しは自分で考える努力をしてくれ。思考を放棄するな。思考は国民の重要な権利かつ義務だ。思考を放棄するからこそ、受け身になるからこそ、人は権力を持つ者に操られ、彼らの定義する「悲惨な結果」になるのでは?

 

先に自分の立場を表明しておくが

「現状は比較的に信頼できて安全。叩くにも代わりがいない。」

と言う。そもそも政治体制とうものをあまり好まない。世界の根底からひっくり返してはキリがないから特には語らないけど。

 

ここまで色んなことを話して言いたいことは、

 

「ひとつの文を読んで何がわかるの?」

ということ。大切なのはそれをよく噛み砕くことで、そしてよく理解することで、さらにそれに賛成か反対か、自分の意見を述べてはっきりさせることだ。まるで小論文のようだ。

 

「崇拝するこの人がそう言っているからわたしもそう」なんて、自分から人間を捨ててモブになってるようなもんだし、

 

「とにもかくにも、書いてることを否定していきがる」のも体裁が悪い。

 

自分が意識してる考え方は

 

「基本的に粗探しをする感覚で、否定的な観点から文章を読み始めて、欠点がないなら賛成」

 

くらいの気持ちで見ている。これが最適なのか分からないけど。

 

「○○がこういうから、私もそう」ってタイプが一番嫌いでダメだ。せめて、「○○を部分的に賛成するけど、ここは私的には違うな」

と主張して欲しい。人間全くもって一緒ということはあり得ないはずで、少しは違いがあるはずなのを、思考を放棄するのはあまりにも怠惰だ。

 

別にこれは報道云々でしか通用することじゃない。自分は完璧に自分であるのだから、人は自我を保つべきだ。印象的で独創的で個性的であるべきだ。人の模倣が何になるのか、この浅はかな自分に教えて欲しい。

 

9条についてついに触れてしまったけど、しっかり自分の意見を述べれば、頭ごなしに「戦争は人が死ぬからダメ!みんな仲良くしないとダメ!」みたいな立場にはなれない。綺麗事ぬかすな。ただ、同じ歴史は繰り返すべきでは無いと思う。

戦争が必ずしも悪いことなのか?侵略戦と防衛戦を同等に扱っていいのか?軍事力は使用せずとも大きな武器になり得るのではないか?いろんな観点で考えてみて、現状のほうが特異なのだ。

じゃあ、誰が兵役を?そこが最大の懸念だ。ピーピー騒いでる人たちを見ると、どうも彼らは徴兵されそうにない世代、年齢、性別、階級であるようで、なんとなくイメージと異なるように感じる。兵役対象となりそうな若い男性から大量の反発がありそうな気がするのは自分だけか?

最大の被害者は国でも国民でもなく、「やりたくもないのに徴兵される人」であるだろう。間接的に参加せざるを得ないより、直接的に参加させられるほうがよっぽど苦労するのだ。彼らの感情について精査すべきだ。

 

ただ、現状選挙権の半分以上はシニア層だから、いろいろ感じることはあるよ。