カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

モテる男子の特徴と日本史的事実の相関

 この論文は、著者の自己満足と、単なる知的好奇心から成るものである。

 さて、昨今の日本において、いったいどのような人間がモテるのだろうか。ある創作物の中で、

「小学生では足の速い奴がモテる。中学生では喧嘩の強い奴がモテる。高校生では頭のいい奴がモテる。」

といった言葉が残されている。著者である私が自ら付け加えるのなら、大学はノリのいい奴がモテるし、大人になれば金を持つ人間がモテる。そう考えている。

 

それと、日本の歴史に無理やり相関を持たせてみると、どうだろうか?それについて今後論ずる。

まず、人間の発端となる旧石器時代から遡れば、ヒトはまだ狩りを行わず、木の実などの雑食を中心にした食生活にあった。大きな獣と戦うようになるのはもう少し後のことだという。すると、外敵に対した時、生存に有利なのは、逃げ足の速い奴、ではないだろうか?すると、足の速い男は生存に有利、つまり遺伝子として優秀であるという後置的証明が行われる。

そして、狩が行われる縄文時代以降になれば、それは力の強い人間が狩りを中心に繁栄する。女性の視点からすれば、狩の強い男と仲良くなれば、肉に有り付ける可能性が高まるのだ。自分の子孫をよりよい環境で育てる可能性がより大きいということと同値である。

時代は長く移ろい、身分制度が作り上げられる頃の話になる。主に奈良時代から始まる律令制、租税制度、これらは公家を中心に形成された一文化であることは間違いない。だが、その時代はそう長くはなく訪れるのは戦国の世の中。やはり喧嘩の世の中なのだろうか。

ただ、そこで考えて欲しいのは、優秀な人間というものは、ただ腕っ節が強いわけではなかった。という既成事実である。初めて武家としての幕府を開き実権を握った源頼朝においても、戦闘能力については弟義経が高いものがあったのは有名な話である。その義経も、自分より確実に腕っ節が強い弁慶を従えていた。世は戦国、安土桃山時代、全国統一を完了させた豊臣秀吉についても、歴史ドラマ等ではお馴染みではあるが、頭を効かせた処世術が、百姓からの大出世を遂げた一因になっていた。

ここで、徳川家康江戸幕府を開いて、一時安定の世が訪れたことで転機が起きる。

この世の中を治める術というものは、大方は頭の良い人間が決めたルールのもと行われるということだ。松下村塾をはじめとした寺子屋で育ち、広い知識を得た優秀な人間が、後に倒幕し明治維新を起こす。長い間鎖国体制をとっていた日本は、開国にあたり、諸外国との交流に追われた。つまり、頭がいくら良くても、広い世界まで視野を広げるともっと頭のいい人間はいるし、いわゆる人付き合いをしなかてはいけないこともある。あくまで理想論でこれがよいとわかっても、それが実現不可能なら所詮机上の空論に他ならない。

 

ここまでの流れを纏めると、やはりモテる男子との時代の流れの相関を感じずにはいられない。逃げ足、逃げるは恥だが役に立つとはよく言うものだが、足の速い人間は優秀な遺伝子だった。そこから狩を始め、戦をするようになり、その戦がある種戦術的になり、そこから頭良い人間が戦に勝ち、世を治めるようになる。戦がなくなれば、そこに残るのは頭の良い人間だ。ここまでで、人間は歴史を辿るかのようにモテるポイントを変遷させていく。これは遺伝子レベルで、人間の有様を周期的に変化させているのではないか?と仮説を立てる。

 

生物学的な話になるが、人間の祖先は辿っていくと魚類からだ。相似器官、相同器官という話をご存知だろうか。人間の尾てい骨は元は尻尾であり、耳は魚でいうエラの部分だった。それが進化して変わっていった。もっとおもしろいことをいえば、人間の発生で、受精卵から分裂していく過程で、人間になるまでのあいだに、魚類フェーズ、両生類フェーズ、爬虫類フェーズを経て胎児の形になるらしい。詳しいことは調べて欲しい。つまり、人間は歴史を辿る。ということだ。

さて、ここで私自身が付け加えた、大学と社会人でのモテるポイントである。

今現在も、頭の良い人間がモテているのか?いや、それは否だ。日本の政治家は世の女性にどれほどまで人気があるのか?それはないだろう。長くなってきたこと、ここからは個人的感情論になるため、続きは次回に伸ばそうかな