カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

過去は書き換えられないが

ある時、何も持ってないことに気づいた。

幸せが詰まっていると思ってたポケットは、実は空っぽだった。

そこに何を詰める努力もしてこなかったんだから当然だ。

そしてある日突然、自分がたくさんの時間を失っていると感じた。

 

 

Rewrite』の冒頭は、瑚太朗くんがこんな印象的な語り出しで幕を開ける。

 

最初に語り出す点、声優が森田成一で、非常にFFⅩと酷似している部分がなんとなくお気に入りではあるが、今の心境を心から風刺しているといって過言でないこのフレーズは、悲しいくらいに心を冷たく突き刺している。

 

下を見ても、上を見てもキリがない世の中ではあるが、確実に自分は無能な人間であることに間違いない。

正直他人と比較するのは好きではないし、常に自分の理想の自分で在り続けたい、それを求め続けるべきだと信じて疑っていないが、

ふと、自分が何も持っていないことに気づいた。

 

自惚れていたわけじゃないけど、自分は全然ダメなことに気づいてしまった。

これを言うと。そんなことない、貴方は凄いってフォローを入れてくる人が時折存在するけど、今は、その言葉を言う人間がすべて悪人に見えるし、自分の成長を止めていると今は声を大にして言える。

 

正直、自分は自分の評価を見誤っていた。何かの指標を元に、いろんな人から褒められることはあっても、そのレベルの範疇で褒められているに過ぎないのである。

別にそれを馬鹿にしているわけではない。それはそれで確かに有難いことなのだが、

自分が目指すべきゴールはそこだったのか?

無意識のうちに、居心地の良い所で安穏としていたのではないだろうか?

その気の抜け具合で、自分の日々は惰性、怠惰なものになっていってしまう。

 

自分は、努力をしていたのか?正しく言い直せば、

自分の目標に見合った正しい努力を真摯に取り行っていたのか?

 

やらなければいけないことを確実にこなすことよりも、やりたいと思うことにどれだけ時間を懸けられるかが重要。

 

自分のなかで大切にしてきたものは、果たして自分によって正しく守られているのだろうか?

 

自分は、このポジションに満足してしまったのか?

 

それは浅はかで怠惰だ。自分はこんなところにいるべきじゃない、そういいたいわけじゃなくって、もっと貪欲に生きねばならぬのだ。

 

自分が凄いなって尊敬する人がいても、追いつけないな、はい、ちゃんちゃん、それで終わっている自分はどこかにいないだろうか?

 

自分のことを褒めてくれる人、凄いって言ってくれる人だけを周りに囲って、居やすさばかり追求していないだろうか?

 

それよりも、自分を高めてくれるような、自分より有能な人間が多くいる場所に、それが居心地が悪くても身を置くべきなのではないだろうか?

 

自分よりすごい人なんて、世の中には沢山いて、自分が欲しい能力を、自分よりもずっと高いクオリティで持ち合わせている人は沢山いる。

 

それなのに、自分は少しいい位置にいるからといって、酷い体たらくで胡坐をかいていた。そんな自分を激しく責める。

 

今、自分は自分のことを許せないし、激怒している。

今後の改善施策は、自分が一番わかっているはずだから、死ぬ気でやろうと思う。

 

現状、自分を一番激しく非難できるのは、紛れもなく自分自身なのだ。

 

人間不信は昔からだが、もう、自分を褒め媚び諂うような人間の言葉は、右耳から左耳に流れ作業のごとく受け流そう。甘えんな、俺!!