カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

だから僕は

自分を主張することを辞めます。

 

ここでの書き物は、自分の感情を整理するための手段として利用しています。

ですので、今まで通り好きに生きていくことができたらと思います。

 

自分を表現する代償に、見たくもない他人の情報を得なくてはいけないのが面倒だなとか、

 

自分の好きな人と、繋がりたいと思ったときに能動的に繋がって、

好きだと思う人に、自分の気持ちをしっかり向けるほうがきっと大事だし楽しいしストレスフリーだなって感じています。

 

SNSが常識化した現在、ヒトは見たい情報をいつでも見ることができるようになった裏で、見たくもない情報を見せられてしまっているのではないかと感じるようになったと思います。

 

もし見たい情報が4割あっても、1割のストレスになる情報があればそれはマイナスなのかもしれないです。

 

自分がSNSで表現をすることは、それを誰かが見てくれるということです。それを見てくれるということは、自分もお返しに見てあげないといけないということです。

 

自分は、人間関係に「義務感」を持ってしまったらお終いだなって思うことがあります。

自分は一切そんなことは求めませんが、私はあなたを見てあげているのに、何故私を見てくれないの?というロジックを求める人間が一定数いるのは事実です。

 

「~~しなきゃ」って思いながら人間と生きるよりも、

「~~したいな!」「~~しましょうよ!」って生きるほうが素敵でしょう。

 

だから、自分はいつでも繋がれるコンビニエンスな人間にはならないほうが理にかなっている。

 

今年こそは、SNSを辞めてやる。そう自分は宣言しました。

なんとびっくり、Twitterなんてすぐ辞めてしまいました。

Instagramについては、まあ投稿する時だけログインするのが素敵かなって思います。一応写真家なので。自称ですが。

僕は言ったら絶対に遂行するマンなので、約束は守りました。

 

 

情報を集めたいタレントやアーティスト、公式アカウントを趣味垢で80人ほどフォローすれば済むようなツールでしかなかったのか?それとも。

 

そんなことを言って、寂しいやつ、薄情なやつと思われるのは心外です。

 

自分は好きだなって思う人とは無限に繋がっていたいですし、どうでもいいなって人はそれなりに会ったときだけワラワラできればいい。

それでも、本当に好きだなって思う人でも、24時間365日一緒。それはあまりにもつかれてしまうと思うんです。

自分は割と1人の時間が好きだし、人生の半分以上、睡眠なんかも含めると盛らずに半分以上は1人の時間です。その内の半分以下の貴重な時間を、自分が好きだなって思う人、自分の好きになって欲しいところを好きって思ってくれる人と過ごす時間に充てたいなって思ったわけです。

そんな人なかなかいないし、なかなか気軽に会えないし、なかなか手の届かないような人だからこそ、そんな時間を大切にしたいなって、そう思えたんです。

 

自分の弱さ、至らなさに絶望することの多い毎日が続いても、それなりに楽しいし、頑張って自分を強く大きくしたいなって日々思うわけで、

その中での様々な選択を、間違えてもいいから後悔しないようにしたいなって思います。

 

後悔しないか、自分のやりたいこと、自分のなりたい姿、自分が在りたい姿とは何かを常に優先して生きるスタンスは変わりません。ここだけは頑固に生きたいな。