カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

脱、居心地が良い所

居心地がよくなってしまったら、その場所は離れるか、自分から努力しないといけない、変化を能動的に求めないといけない。

 

そう思っていて、居心地が良いな、満足しているなと感じたとしたなら、次の環境への遷移を意識しなければいけないと意識している。

 

居心地が良いと感じた時、それは満足して成長が止まるときだと思っている。

いつもぴんと張り詰めた環境に身を置くのは、心身が持たないだろうから、すべてにおいてそうしているわけではないけど、何もかもにストレスを感じることなく過ごせる環境は、理想論ではあっても、そうあるべきではないと思っている。

 

自分は、なるべくその環境で自分がすべきことを果たせば、離れようと意識的に思うし、結構すぐ決断して新しい環境に飛び込みたいと思う。安定志向な割には、刺激が少ない人生は詰まらない。

 

居心地が良いということは、自分が定義するに、3種類の懸念がある。

 

①自分が無能で、周りからこの上なく気を遣われているため

②自分が有能でやることがなく、成長の余地がなく時間を食い潰している

③有能無能はさておき、老害して将来性のある下の人間に不都合を与えている

 

このいずれかに大体が当てはまるように感じる。

①である場合、そこに満足してしまえば、自分は無能なままだし、人に迷惑をかけたくない性分だし、プライドもあるから、必死こいで頑張りたいと強く思って、あえて居心地を悪くするように心理的に自ら圧をかける。

逆に言えば、これは皆がやさしくしてくれているのに、そのやさしさを正しく還元できないということかもしれない。褒められているのに、まだまだだと謙遜なしに真剣に考えて思い詰めることもあるだろう。それは幸福度的には低いのかもしれないが、自分が無能なら仕方がない。自分は有能で在りたいと強く所望するからだ。

 

②である場合、自分は時間、ひいては金銭までをムダニしているのかもしれない。自分が有能で、優越感がある場所は居心地がいいし、生きてて悪い気はしないが、自分がその環境下で100の指数で素晴らしいと評されても、全世界基準から見れば60しか素晴らしくないのかもしれない。

そうなのだとしたら、自分がその環境でふんぞり返るのはあまりにも傲慢である。そうでなくても、自分が有能だと勘違いしてしまったら駄目だ。多分きっと、人間それぞれに完成形はないからこそ、何かしらの課題が見つかる。自分がすべてにおいて有能なのであれば、もう死ぬまでに充分なお金を手にし、リタイアして引きこもり生活ができるはずである。

 

③である場合、これは一番最悪だ。人間は、強く下から求められている場合を除き、老害してはいけないと思う。自分が必要以上の時間をその環境で過ごすメリットが、ニーズがあるのか?それが、客観的に見て自分の自己満足でしかないのなら、あまりにも無駄である。

自分は大した人間ではない、後世に語られるような偉人でもない。だからこそ、去るときくらいは綺麗に去りたいものである。

 

 

自分は一時期、すべてにおいて居心地が良いと感じる瞬間があった。それを意識的に反省し、意図的に次やるべきこと、やりたいことに着手した。それに要した時間やコストはあるものの、今は非常に満足している。だが、非常に疲れる。

それでいいと思っている。居心地がよくてストレスが無いほうがたしかに良いに決まっているけれど、今の時期にストレスフリーなのはそれはそれで如何なのかと思う。

 

自分はストレス耐性も発散も得意な方ではあるが、基本的に部屋で独り言つぶやいて、しょうもないことで笑いながら酒飲んで、布団でたっぷり寝ればそれで終いなのだ。

 

基本的には、居心地が良い意味で悪い所に身を置いた方がきっと良いという話。

自分の座右の銘「こだわらないことにこだわる」の一端なのである。