カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

ギセイ

ウサギたちの群れがあった。

 

今日終わるイノチなのかもしれない。

 

いつ、群れがテキに襲われて死んでしまうか判らない。

 

でも、群れでの暮らしは悪くはなかった。

 

ゴハンが欲しければ仲間が分けてくれた。

 

サミシサを感じることはなかった。

 

でも、

 

オソレは変わることは無い。

 

シアワセな日々の間に、

 

シアワセなんて無いんだと突きつけられるように

 

仲間がタベラレテゆく。

 

昨日ごはんを分けてもらったアイツが今日、もういない。

 

今日話したあいつが、今目の前にタオレテいる。

 

シアワセはまやかしで、その場限りでしかない。

 

ワタシは、その幸せに何を求めないといけないのか?

 

今、ここでタベラレテしまうことと、

 

明日、ここでタベラレテしまうこと。

 

いったいこのセカイでどんな違いがあるのか。

 

ナヤンデしまうと、どうしようもなくなってしまう気がした。

 

だからキョウも、ごはんを食べて、

 

オナカがふくれれば、ひもじそうな仲間に分けてあげればいいし、

 

テキが来たら、逃げればいい。

 

そうやって生きてきたから。

 

これからもそうやって生きていく。

 

自分は、生き延びるために生きてるの?

 

わからないけど、生きてる。

 

もし、それがそうやってプログラムされた感情だったのなら?

 

プログラムされた「幸せ」のなかで充足感を感じで、恐怖を感じて、物寂しさを感じで、笑って怒って泣いて死ぬ設定なのだとしたら?

 

もしかしたら、それが一番のシアワセなのかもしれないね。