カプチーノ現象

内向的自己回帰型排斥主義OL

脳が溶けても忘れないでいたいこと

アルコールは簡単にヒトの脳を溶かしてくれる。

いつでも人は、何かに抗い、悲痛なる声にならない叫びを噛み殺しながら、毎日なんともないフリをして生きているのかと思うと、震えさえする。

アルコールは非常に強い味方となってくれて、どんなに面倒なことに直面しても、たるいなあと思う仕事のこととか、煩雑な人間関係とか、明らかに厄介事へと進んでいく組織とか、すべてが一見無くなったかのように溶けてしまう。それ自体の解決には決してつながらないのかもしれないが、それはある意味で、思考をリセットするという点で、現実逃避は一種の解決案だろう。それ自体に意味がないものだとしても、それは愛される行為だ。

 

自分は正直に言って、酒が好きではない。好き好んで飲んでいない。小さいころ、卓上の自分の麦茶と間違えて、麦という要素しか合ってないのを見落とし、テレビに目を取られ手に取って誤飲したそれは一種のトラウマ要素として残されているのか、今もビールは飲めないし、基本的に洋酒はあんまり得意じゃない。ガソリンの味がすると比喩している。燃料として効率的な点、ガソリンの方がよっぽど有能だ。

 

残念ながら自分は、アルコールに関してはザルらしく、基本的に飲んでも酔えない。酔うのには無理をしなければいけないし、人と飲めば大体先に人が酔ってしまうから、それを見て冷めてしまう。

 

そんな表立った理由はさておいて、自分は、

「俺は大人になっても大して酒は飲まないよ」

 

そう宣言した。当時の自分には残念ながら胸は張れない。ただ、当時の彼の心境であったり、価値観であったりは、今も忘れないでいたいと思っている。

 

自分がアルコールが苦手になった理由。それは間違いなく、周りの大人の影響に他ならないだろう。

 

田舎育ちの風習があれ、盆と正月では、当然のように親族であったり、近所であったり、職場であったり、宴会たるもの、まあつまり飲み会が各所で催される。

自分の肉親もそれは例外ではない。繁忙期では、3日に1度とかは、親はどこかしらの関連された飲み会に行っていたように記憶している。別に、親のプライベートにとやかく言う権利も義務も、息子には要されていない。別に、親が飲みにいって寂しいだとか、毎日一緒に卓を囲んでごはんを食べたいとも思っていなかった。

 

ただ、それは、自分に関係ないところで起きていた場合に限られるのである。

 

例えば、自分の家では、盆と正月は親戚の家と自分の家、交互に挨拶にいくのが慣例になっている。親戚の家に行けば、まあお年玉がもらえるだとか淡い期待を胸に父親(帰りは飲酒をしない母が運転するのが慣例なので、行きは父が運転するのが通常だ)の車の助手席に乗っていたものだ。

そこにおける飲み会。お年玉をもらうイベントなんて1回表で終了する。

あとは、大人たちの飲み会と宴会といった感じで。

別に自分い興味がある話をしているわけではないから、話に入ることもしないし、たまに学校はどうかなど、ありきたりな会話を振られたときに返事をするくらいで、傍らで付け放しにされたテレビを観ていることがほとんどだった。(その甲斐あってか、自分は毎年のように、箱根駅伝の中継を観るのが好きになった)

でも、これでまた苦労するのが、自分の性分のせいあって、八方美人だから、自分の今の立ち振る舞いを気にしてしまった。一度気にしてしまえばもうずっと気になってしまう。自分がつまんなそうにしていると、気分を害されないか、グラスが空けば注ぎ足しをするように親にせかされて酒瓶を手にする。運ばれてくる料理を食べるタイミング、食べるスピードが速すぎないかとか、親戚のおばさんを急かさせていないかとか、いろんなことを考えてしまっていた。

「子供なんだからそんなこと考えなくても」

そう思っても、自分は子供のくせで嫌なところで大人になってしまっていたから、気にせずにはいられない。

そうして、大人たちはアルコールが進めば話も弾むし、俗にいう治安も悪化するはずで、だいたい帰りの車中では、素面の母親が運転席で総支配人を務める大反省会だった。父の酒くささを車中でいやな不快感を感じながら、長居しすぎだとか、飲みすぎだとか、なんやら言ってたいへんだった記憶がある。まあ、ある意味この家の恒例行事という名前の何番煎じ?ってくらいのイベントだからもう慣れたけど、こうやって、

ああ、酒ってやだな。長時間気を遣わないといけない拘束があるし、親も不機嫌になったり、酒臭くなったり、堪ったもんじゃない。そういう思考回路が幼いながらも植え付けられた。

さて舞台は移り、実家が宴会場となれば、母が作る料理の品出しだとか、注ぎ足しだとか、忙しい。接客業を今しているのもあるけど、人の相手をするのはこんなにも疲れて気を遣わないといけないのかと絶望した。客人が帰れば片付けをしないといけない。

 

その片付けの時間も、母を中心として大反省会だ。その日の夕飯は残り物になるし、時節の風習をある程度重んじていた実家だからこそ、毎年毎年行事によって食事が一定だったから、というのもあって、自分はハッキリ言って盆と正月が好きではなかった。付け足せば、今もあまりいいイメージはないけれど、そもそもほかの予定で多忙になってしまい、実質その時期に帰省できていないため、そのイメージは若干ではあるが薄れている。これを親にちょっと前に酔ったノリで言ったら悲しい顔をされたのは、比較的記憶には新しい。

 

さて、そういったわけで、自分のなかで、酒を飲む飲まないとかの話をすると、いつも、上記の盆と正月がつながって連想されるわけで、自分のなかでは切っては切れない関係にあるのだ。

 

男は漏れなくマザコンで生まれるなんて言われているが、もちろん自分も例外ではないからこそ、俺は母親が盆と正月にネガティブになる対象として、飲み会であり、アルコールというものがあるのだろう。それはもう、飲んでいる当人たちは楽しいだろうけど、それに関連する人だとかに気を遣ってしまうと、途端に胸が痛くなって楽しめないというわけだ。だから、今も自分は飲み会とかで、店員さんぜってえうぜえと思ってんだろうなとか考えると途端に冷めちゃうから、なるだけ考えないようには努めている。

 

逆に言うと、一人で晩酌するとき、親密な間柄の人と飲むときというのは、割とリミッターは外れるんじゃないかなと思っていて、それは確かだなといった経験も少ないながらあった。だからこそ、少し自分の中でアルコールを許容できる自分が精神的に存在しているんだなと感じるようになった。

 

それで今はというと、一番気に入っている飲み方は、デスクワークをしながら、傍ら一人で飲むことで、残念なことに、引用は母からだ。よく○付けをしながらチューハイを飲んでこたつで連ドラを観ていた姿が回帰される。ある意味で、俺の中での大人像はそれなのだ。

 

一人暮らしのワンルームアパートで、仕事(あえてこの表現を多く自分は使っているのだが、それはまあ別件で話すとする)しながら、梅酒飲んで、PCの二画面でアニメだったりYouTubeを観るのがいつしか日課になった。そうやって俺は、これからも大人として生きていくのかと思う。

 

 

これは本当に自分の幼少期でしっかりと刻まれた価値観であるからこそ、今も、酒は飲んでも飲まれるなと貫いていたい。不摂生は残念ながら人間として醜い。自分が嫌なほど気を遣って、迷惑を被ったからこそ、自分が酔うことでほかの人に迷惑はかけたくないし、それだったら一人で酔えたほうが幸せだよなって思ってる。

 

アルコールの強い弱いも、後天的に、精神的に身につく節ももしかしたらあるのかもしれないとふと最近感じたので。

 

二十歳は、お酒になってから。